「やあ。はじめまして……だな。副指令の扇だ。」
人当たりのいい顔で話しかけてきた人物の肩書に、スザクは目を見開いて驚く。
「ふ、副指令っ。」
ガタンと音を立てて椅子から立ち上がる。急に立ち上がったことで足元がふらつき体勢を崩した。
前のめりになるスザクを扇が慌てて支える。
「大丈夫か。驚かせてしまって悪かった。」
「いえ……ありがとうございます。
初めまして。枢木スザクです。宜しくお願いします。」
バツの悪そうな顔をしながらも礼を言うと、体勢を直し、直立した姿勢で腰を折り、挨拶する。明らかな軍隊仕込みの所作に、扇は苦笑した。
「黒の騎士団にようこそ。挨拶が遅くなって申し訳ない。
実は俺も、ついこの間まで医療エリアにいたもので、君が入団したこともさっき知ったんだ。」
「そうなんですか……お体の方はもう?」
自分の方が重傷だというのに、眉尻を下げて気遣わしげな顔で問いかけてくる彼に、扇の表情が緩む。
確かに印象が違う。
もっとも、扇が知る「枢木スザク」は戦闘の最前線でブリタニアの白兜を操るパイロットとしてだが。
あの厳しく精悍な顔も、今はその片鱗も感じさせないほど穏やかで、心なしか幼ささえ感じさせる。
「1つ、質問させてもらっていいかな。」
扇の問いかけに、スザクは小首を傾げながら「はい。」と答える。
「君と俺達は、つい最近大きな戦闘をしたばかりだ。君がこんなに大きな傷を負った原因だ。今は記憶がないだろうが、この中に、君にその傷を負わせた人間がいることは想像つくだろう。ついこの間まで敵だった人間ばかりの中にいることに、恐怖はないのか?」
真剣な表情で尋ねてくる扇に、スザクは目を瞬かせてから笑みを返す。
「ああ……そう言われればそうですね。」
あっけらかんと、そんなこと考えたことなかったなと言う少年に、今度は扇が驚きから目を瞬かせる。
「僕に悪い印象を持っている人がたくさんいることは承知しています。
それでも瀕死の僕を助けてくれて、受け入れてくれている人たちがいる。だから、助けてくれたお礼もしたいし……みんなの役に立ちたい。
こんな僕に、何かでききることがあるのか分からないけれど……」
「君を、そんな体にしてしまった人間に対して思う事はないのか?悔しいとか、憎いとか……」
扇の質問に、カレンが眉間にしわを寄せ顔を俯かせる。
「だって、戦争していたんでしょ?僕は軍人で……憎くもない人と戦うことが仕事で……どんな状況だったのか分からないけど、仕方のない事じゃないですか。」
自分が負傷した状況を知らないというスザクに、扇は藤堂と顔を見合わせる。彼も、眉根を寄せ目を細めた。
事実を伝えるべきか思案していると、彼らの前にカレンが進み出る。
苦しげな表情を浮かべて立つ彼女に、スザクは小首を傾げた。
「スザク。ごめんなさい。あなたのその胸の傷…肺が片一方無くなっちゃった原因を作ったのは、私なの。
私が、撃ったの……」
その告白に、スザクは言葉もなく彼女を凝視する。
「あなたは、ゼロを追い詰め捕らえようとしていた。馬乗りになってゼロを押さえつけて…このままじゃゼロが捕まって殺されてしまうと思ったから。だから……」
驚きで目を見開いたスザクから、ヒュッと息が漏れた。
また、喘息の発作ではないかと息を呑む彼らの前で、スザクは何度か呼吸を整えてから、カレンに微笑んでみせた。
「そう……だったんだ。本当に、僕はみんなと対立していたんだね。ごめんね。そして…ありがとう。
普通ならそのまま放っておくはずなのに、助けてくれて。
殺したかったはずなのに、生き残っちゃってごめんね。」
切なそうな顔で礼と謝罪を繰り返すスザクに、カレンは大きく首を振る。
「違うわよっ。あんたが憎くて撃った訳じゃないっ!
私はただ…っ。ただ、ゼロを守りたかったの。あんたを殺してでも…とは思ったけど、殺したいほど憎かったわけじゃない。」
「うん……ありがとう。」
スザクが再び謝辞を伝える。軽く瞼を閉じ、右胸に手を当てた。
「やっぱり、僕は早く元気にならなきゃ。
普通に歩けるようにもなるし、肺が片一方しかなくてもそう簡単に息が上がったたりしないようにもなる。
だから、そんなに辛そうな顔しないで、カレン姉ちゃん。」
再び目を開き明るい声で笑いかけるスザクに、つられてカレンも微笑む。
「……あんたに、『姉ちゃん』なんて呼ばれると、変な気持ち。同い年よ。私たち。」
カレンの指摘に、スザクは今気が付いたといった顔をする。
「そうか。そうだよね。……17歳だって分かってるけど、なんかまだぴんと来なくて……つい。」
嫌だった?と首を傾げるスザクに、カレンは苦笑する。
「嫌…じゃないけど。なんか照れくさい。
でも、まあ。あんたがそう呼びたいなら、言ってもいいわよ。
今のあんただったら腹立たないし。」
「……前の僕だったら?」
嫌な予感を感じ、恐る恐る尋ねかける。
「馬鹿にしてるのかって、フルボッコね。」
にやりと笑って答える彼女に、顔を引きつらせる。
その場の全員が、声を上げて笑った。
「そんな顔しなくても大丈夫だよ。君はもう仲間だ。危害を加える人間はここにはいない。」
扇が、穏やかな笑顔でスザクに声をかけると、表情を引き締めカレンに向き合う。
「彼は、零番隊に配属だ。気を付けてやってくれ。」
「はい。わかりました。」
カレンがきびきびとした態度で返事をすると、スザクに笑みを向ける。
「あんたは、私のグループに入るんだって。よろしく。」
そう言って、右手を差し出す。スザクも笑顔で握り返した。
「よろしくお願いします。」
「当分、君の任務は体を治すためのリハビリだ。がんばれよ。」
そう言ってスザクの頭をなでる扇に、周りの者は一瞬目を見開き、失笑する。撫でられた当人は、きょとんとした顔で彼を見ている。
「あ……すまない。つい……」
慌てて手を引っ込める扇に、スザクは照れ臭そうに笑いかけた。
「扇さん。分かりますよ。つい、頭なでたくなるのよね。」
楽しそうに語る深瀬に、周りの者も目を細めて頷くのだった。
「どうだった?彼」
リハビリ室を出ると、朝比奈が尋ねかけてくる。ニヤニヤとして自分を見てくる様に、扇は肩をすくめた。
「素直で、思いやりのある人物だと思うよ。」
その返答に、彼は満足そうに笑みを浮かべる。
そう。千草と同じだ。記憶を失い、軍人であったことも含め自分が何者だったのか忘れてしまっていた彼女は、たおやかで優しい女性だった。きっとそれは彼女本来の性質なのだろう。
人は、自分が置かれた状況によって、考え方もその価値観も変わってしまう。差別や不平等を是とし、皇帝が競争や略奪を煽る訓示を行う国。ブリタニアという国に所属していたために、千草も枢木スザクも、本来の自分とはかけ離れた存在になったのかもしれない。
「彼の記憶が、このまま戻らないことを願うよ。」
呟くように漏らした言葉に、朝比奈も頷いた。
それにしても……と、スザクとの僅かなやりとりで疑問に感じたことを思い返し、自分たちの前を歩く、スザクのかつての師に声をかけた。
「藤堂さん。彼は…枢木スザクは子供のころどんな少年でしたか。」
その問いかけに、怪訝な表情で振り向く藤堂に、言葉を続ける。
「彼の精神年齢は、今11歳でしたね。その年代の子供にしては少し気になる言動があったので……」
扇の言葉に彼も思い当たる点があるのか、小さく頷く。
「──私が知る枢木スザク君は、裕福で権威ある親の子息らしく、物おじしない我の強い子供で、時折乱暴なこともあったが、気質はまっすぐで正義感の強い子供だったと思うが。」
藤堂の言葉に扇は表情と曇らせる。彼が聞かせてくれた枢木スザク像と先ほどの彼とではやはり違う。もっとも、実年齢は17歳なのだから、記憶が逆行しているとはいえまるきり子供に戻ってしまっているという事もないのだろうが。
「俺は、レジスタンスになる前は教師でした。その時心理学を少し勉強したことがあって……さっきの彼の言動から、自己嫌悪や自己否定……自殺願望のようなものを感じたのです。
もちろん、相手に対する思いやりや、他人が自分にしてくれたことへの感謝という子供らしい素直な感情も受け取れましたが…それ以上に…いや、今言った感情の裏にそういった負の思想が反映されている気がして。」
彼の言葉に、藤堂は表情を強張らせた。
何か思い当たることはありませんかという扇の問いに、藤堂は硬い表情のまま首を振る。
「いや……これといったものは……」
言葉を濁す彼に扇は再び思案にふけると、医療エリアに戻るという。
「彼のカウンセリングをした、臨床心理士に話を聞いてきます。」
踵を返す扇を見送る藤堂は両の手を固く握り込んでいた。
「ええ。おっしゃる通りです。」
スザクのカウンセリングを担当した臨床心理士の女性は、扇の疑念を肯定し、手元のファイルを確認する。
「深層心理に、自己否定を暗示させる点がいくつか……
父親である枢木首相が、戦争を回避できなかったことに対して、自分にも責任があると考えている節があります。
親の行動に過剰に同調し、自分もそうすべきと思い込んでしまっているのではないかと。」
「……どういう事ですか?」
「……父親が戦争を回避出来なった責任を死んで償ったのなら、自分もそうすべきだったのではないかと考えている節が…」
「そんな…馬鹿なっ。」
扇は、驚愕して目を見開く。
わずか10歳の少年が、なぜそこまで思い詰めなければならなかったのか。親と彼は全く別の存在だ。いくら、父親が当時国政の最高責任者だったからといって、彼に同じ責任があるわけがない。
「───敗戦とブリタニアの属国となったことが、その大きな原因なのでしょうか。」
「多分。収容所で戦犯政治家や軍属と一緒に生活していたことも要因ではないかと……」
眉根を寄せ辛そうに報告する臨床心理士の言葉に、扇も嘆息を漏らす。
「……分かりました。ありがとうございます。
話を伺えてよかった。」
「副指令。」
礼を告げ部屋を持そうとする彼を、臨床心理士が呼び止める。
「彼が、黒の騎士団に入団したと聞きました。
その…戦闘に参加するようなことがあるのでしょうか。」
心配そうな彼女に、眉根を寄せる。
「……彼の所属は零番隊になりました。ゼロの決定です。」
扇の告げた事実に、彼女が息を呑んだのが伝わる。すまなそうに目を伏せた。
「今のところ、彼を戦闘に巻き込むつもりはないようです。
自分も、できるなら彼は戦闘から遠ざけたいと考えています。だが、この先どうなるかは分かりません。
彼のメンタル面を考えれば、本来こんな組織に所属させるべきじゃない。しかし、ゲットーに暮らさせるわけにもいかない。」
「───究極の選択として、ここしかないのですね。」
嘆息交じりに彼女がつぶやく。
「生と死の最前線だからこそ、『生』を実感できるという事もあります。彼が、戦闘に関わることになる前に、生きることに喜びを感じ取れるようになれれば……」
「……そうですね。
彼が、生きていていいのだと思えるように、私たちが関わっていかなければいけませんね。」
「自分も、彼にどんな風に関わっていけるか、考えてみます。」
そう答える扇に、臨床心理士は「お願いします。」と頭を下げた。
カウンセリングルームを退出し、リハビリ室の前を通る。スザクが、黙々と歩行訓練をこなしていた。
その必死な姿に、扇は無意識にまたその部屋に足を踏み入れていた。そして、彼に声をかけていた。
「枢木君。」
後ろからかけられた声にスザクが振り向く。
「勉強。小学校から勉強やり直さないか?俺が教えるから。」
突然の申し出に、スザクは、ハトが豆鉄砲を食らったような顔で扇を見つめるのだった。
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