「ねえ。例の彼のことなんだけど……」
普段は、自分の研究室から出ることのないラクシャータが、珍しく自分からゼロの元を訪れ、開口一番にこう言った。
前置きもなくいきなり本題を切り出す彼女に、よほど差し迫った事情があることを察し、ゼロは、作業中の手を止め彼女を見る。
「枢木のことか。その後、何か変化でも?」
「記憶の方は変化がないわ。むしろ、そのことで少々問題が……て、言うか……彼の精神年齢を考えれば、すごく自然な事なんだけど。」
「なんだ?」
「結論から言えば、実年齢を彼にちゃんと伝えるべきだと思うのよ。
彼を担当している医師に、自分は本当は年単位で昏睡していたんじゃないのかって尋ねたらしいの。」
「年単位?」
一瞬、彼女が話した内容が理解出きなかった。言葉を反復するゼロに、ラクシャータは面白そうにに笑う。
「そりゃそうでしょうね。本当は、精神が逆行しているのだけど、本人にしてみれば、寝ている間に体が成長しているのだから。」
「ああ……」
ようやく、話の趣旨が見えてきた。
「状況を判断できるほどに、体調が回復してきたという事か。」
「そろそろ頃合いじゃないかと思うのよ。」
意識を回復したスザクが、最近6年間の記憶を喪失しているとわかった時、精神面でのケアを優先するという事で治療方針が決まった。
つまりは、現実世界を彼に知らしめるのではなく、彼の中での現実を優先する。周りがスザクに合わせることで、精神的負担を軽くする。11歳の少年として対応することにしたのだ。
スザクの病室を個室とし、自分の姿を見て混乱しないよう鏡の類はすべて撤去、面会も医療従事者以外は、原則禁止とした。
例外は、ゼロ・C.C.・カレンの3人……彼らは意識を取り戻した時に会っている。
幼少期のスザクを知る藤堂と千葉、朝比奈が面会を許された。
体調が回復してくれば、おのずと自分の身に何が起こったのか知りたくなる。その時が来れば、状況に応じて彼が知りたい情報を与えていくことにしたのだ。
「この間、藤堂さんたちと、カレンちゃんが面会したでしょ。
まあ。彼女は完全イレギュラーだったけど。
……やっぱり、気になるんでしょうね。」
スザクの足や肺のことを説明した時のカレンの様子を思い出し、ラクシャータは苦笑する。
「その時に、いろいろと自分の記憶や感覚とのギャップを感じたみたいで……どの辺まで教えていいか確認しに来たの。」
「そうか。」
ゼロはそう言っておし黙ると、一緒に立ち会うと言い出した。
「どこまで伝えるべきかは、彼の様子を見て判断した方がいいだろう。」
スザクの病室のある医療エリアに近づくにつれ、にぎやかな声が漏れ聞こえてくる。本来ならば、そういう声が聞こえるはずもない場所で、女性のはしゃぎ声が聞こえる。
「なんだ……?」
訝るゼロに、ラクシャータが笑う。
「彼、今、この医療エリアのアイドルだから。」
「は?」
思わず間抜けな声が出てしまう。
「彼、精神的には11歳。思春期の入り口に差し掛かったところでしょ。自分の体の変化とか異性とか……いろいろ気になるお年頃じゃない?」
「ああ……それが?」
自分の経験を振り返ってはみるものの、そんなことを意識する余裕は全くなかった。むしろ、生物学的な見地でいうところの第二次性徴も、何となくやり過ごしてきた気がする。
異性を強く意識したのは、妹のナナリーが初潮を迎えた時だったか。
「ふつうは、徐々に変化していく自分を認識するところが、いきなり大人の男性になってるわけで、彼的にかなり戸惑ってているらしくて。
日常の介護も妙に恥ずかしがったり、照れていたりするのよ。」
「───あいつが……?」
7年前においても、アッシュフォード学園での生活でも、そんなスザクを見たことがない。想像がつかない。
「そういうところが、看護師たちにウケちゃったみたいで……」
そう言いながら、彼女がドアを開けると、一際高い歓声がゼロを迎えた。
「きゃあ。スザク君すごーい。」
「あと、もうちょっとで100回よ。」
「がんばれ!」
ベッド脇に立つスザクを、数人の看護師が取り囲んで何やら騒いでいる。
「何の騒ぎだ?」
「暇そうにしていたから、リハビリの一環でけん玉をやらせてみたのよ。そしたら、結構夢中になっててね。かなり上達したのよ。もともとバランス感覚がいいのね。」
そう言われてスザクの手元をよく見ると、けん玉を器用に大皿と小皿の間を行ったり来たりさせている。
「98…99…100!」
「おめでとー!」
「やったーっ!」
目標を達成できたのか、ガッツポーズをするスザクを、看護師たちがやんやと祝福する。
その、なんとも和やかな空気にゼロ、ルルーシュはあっけにとられ、呆然としてしまっていた。
そんな彼に、病室内で一番最初に気が付いたのはスザクだった。
「あ。魁傑黒マント。」
ゼロとラクシャータが来たことで、スザクの部屋に集まっていた看護師はそれぞれの持ち場に戻って行ったが、その際、スザクに必ず声をかけていく。
中には頭をなでたり、肩をたたいたりといったスキンシップやおやつのリクエストを聞いてくる者もいて、そのたびにに照れたりはしゃいだりとスザクの表情はくるくる変わる。
そんな彼に、ルルーシュは目を細めた。既視感がある。戦争が始まる前…ほんのひと時の平和な時間、スザクは本当に表情豊かな少年だった。
看護師たちが去り、スザクとラクシャータ、ゼロの3人になった病室で、「ちょっとお話ししましょうか。」とラクシャータが切り出す。
「佐藤先生に、本当はずっと長い間寝ていたんじゃないかって、聞いたそうね。」
彼女の確認に、スザクはこくんと頷き、ベッドの上で胡坐をかいた姿勢から、背筋を伸ばしてベッド脇に立つ二人に向かって座り直す。
神妙な顔つきで、スザクは自分の抱える疑問を吐露した。
「だって、なんか変だから。
まず、声が低くなってるし……最近声がかすれてきていたから、寝てる間に声変わりしちゃったんだって思ったけど、目線も高くなってるし、手の大きさも前と違うし……
ラクシャータ先生は、僕は2週間寝ていたって言ったけど、人間て、こんな短い時間に大人になったりしないよね。」
幼い言葉で問いかけるスザクに、ルルーシュは今更ながらスザクの人格が変わってしまっていることを痛感した。
ああ。本当に子供に戻ってしまったのだ。
だが、まるきり子供という事もない。自分の状態を冷静に分析し、不安や疑問をきちんと言葉にして訴えることができる。そういう点では、大人であるのかもしれない。
ラクシャータの言うとおり、実年齢を伝えてもパニックを起こすような心配はないだろう。
「そうね。2週間程度で子供が大人になるなんてことはあり得ないわ。でも、君が意識を失っていた期間は本当に2週間なの。」
「でも……っ。」
困惑するスザクに、ラクシャータはゼロに視線を移す。彼は静かに頷いた。それを確認して、ラクシャータは言葉を続ける。
「ちょっと難しい話になるかもしれないけど、落ち着いてしっかり聞いでくれる?」
彼女の問いかけに、スザクはブルリと身震いすると首肯する。
「記憶喪失って言葉は知っている?」
「うん。自分の事が分からなくなっちゃう病気の事…だよね。」
「そうね。症状は人によってさまざまで、自分の名前や住んでいたところを忘れてしまったり、読み書きもわからなくなってしまう事もあるわ。原因も、脳に傷を負った事であったり精神的なものであったり……いろいろ。」
「……僕も『記憶喪失』なの?
だから、どうして自分がここにいるか分からない。覚えていないのはそのせい?
でも、名前も、年も、住んでる所もちゃんと覚えてるよ。」
訴えるスザクに、ラクシャータは小さく頷く。
「そうね。私たちはあなたの事を知っている。だから、あなたの異変にすぐ気が付けた。
スザク君。あなたは記憶喪失。ただし、ここ最近の記憶だけ失ってしまっている。」
「最近……?」
「6年分の記憶が抜け落ちてしまっているの。
あなたの本当の年齢は17歳。体が大きくなったんじゃなくて、記憶が子供に戻ってるの。」
「え………」
ラクシャータの説明にスザクは絶句する。
呆然とし、自分の両手を見つめている。
「僕が……17歳……?」
「───鏡、みてみる?」
問いかけに、スザクは黙って頷いた。
ゼロが病室のドアを開けると、看護師が可動式の姿見鏡を運び入れる。
「これが、今の君の姿だ。」
ゼロの声に反応したスザクは、鏡に映る自分の姿を愕然とした様子で見入っている。
腰かけていたベッドから立ち上がると、ふらふらと鏡の前に立った。
「……ほんとだ……」
鏡の中の自分に対して手を振ってみる。同じ動きをする像にまた言葉を失う。
「これが……今の僕?」
問いかけに室内の大人たちが頷いた。
ひゅっと息が漏れた。先ほどと同じようによろよろとベッドに腰を落とすスザクに、ラクシャータは嘆息する。
「少し休んだ方がいいわね。」
横になるよう促す彼女に、スザクは首を振った。
「僕のこと知ってるって言ったよね。だったら、教えて。
僕は6年間、何をしていたの?どうして死にかけるような大けがしたの?」
すがるような眼で問いかけるスザクに、ラクシャータとゼロは顔を見合わせる。
「君の事を知っているとは言ったが、6年間すべての事を知っている訳ではない。
ただし、1年以内の君のことなら分かる。
君は、ブリタニア帝国の軍人として、我々と闘っていた。」
スザクの瞳が大きく見開かれる。
「───ブリタニアの軍人……」
「君に関する資料を持ってきている。見るか?」
頷くスザクに、ゼロは持参したタブレット端末を渡す。
画面ににずらりと並んだファイルの1つを開いてみせる。ブリタニア軍からハッキングしたスザクのパーソナルデータや軍籍が表示された。
「すべてブリタニアの文字だが…分かるか?」
「……はい、読めます。意味も分かる……どうして……」
「あなたが積み上げてきた知識よ。言語に関する部分には損傷はないってことね。」
ラクシャータの説明に、小さく頷くと表示されている文字を目で追う。スザクに、再び驚愕の表情が生まれた。
「これ……騎士候……少佐って。」
ナンバーズに決して与えられるはずのない身分と階級に、愕然としている。
「君は、ブリタニアの植民地の中では異例の大出世をした被支配民だ。名誉ブリタニア人でありながらナイトメアフレームに騎乗が許され、対抗勢力である我々を大いに脅かした。その実績が認められ、皇族の専任騎士にも抜擢された。」
そう言って次のファイルを開く。
皇女らしき人物の前に跪く自分の姿に、スザクは息を呑んだ。
スザクは、画面から顔を上げると、ゼロを見る。
「どうして僕を助けたの?僕は、ここの人達には、まるっきり敵じゃないか。」
「そうだな。君は本当に目の上の瘤のように目障りな敵だった。が、同時に喉から手が出るほど欲しい戦力でもあった。」
「僕を、仲間にしたかったの?」
「何度かそういう交渉をしている。だが、君は仲間になることを拒んだ。」
「だったら、何故。」
再び同じ質問を繰り返すスザクに、ゼロは答えを詰まらせる。
「何故だろうな……ただ、目の前の瀕死の人間を放っておけなかった。それだけのことだ。」
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