郊外からセントラル市内へ続く街道を、1台の高級車が走る。
森林を切り開いただけで街灯もない道を、ヘッドライトで照らしながら、車は順調に市街へと向かっていた。
「すっかり遅くなってしまったわね。」
車窓を流れる景色を眺め、大総統夫人は隣に座る少年に話しかける。
彼は、微笑みを浮かべて小さく頷くだけだ。
その事に、彼女は眉尻を下げた。
「ぬか喜びさせてしまったわね……」
彼女の言葉に、少年…ルースは慌て「そんな事ないです!」と答えた。
中央とウエストシティの丁度中間にある街に、幼い息子が誘拐されたまま、その消息を探している夫婦がいると知らせが入ったのは、昨日の午後だった。
ブラッドレイ夫人はすぐにその夫婦と連絡を取り、今日の午前中にルースを連れて車をその街へと向かわせた。
「もしかしたら、貴方のご両親かもしれないわよ。」
善意と良心から嬉しそうに笑う彼女に、違う事が分かっていても、ルースは笑い返すしかなかった。
彼を見た瞬間に落胆の表情を浮かべる夫妻に、ルースは申し訳なく、居た堪れなくなり俯いた。
その態度が、夫妻には自分達と同じ心情なのだと思われたらしい。
せっかく来てくれたのだからと、家に招かれお茶をご馳走になった。
テロリストを名乗る者に誘拐され、指定通り身代金を支払ったにもかかわらず、彼らの子供は未だ帰らず、遺体すら発見されていないのだという。
「亡くなったのだという証拠が見つからない以上、私達はあの子は生きていると信じています。」
ですが……と夫は眉尻を下げた。
「───疲れた…というのも、正直な気持ちなのです。
幸い、私達夫婦にはまだあの子の兄弟がいます。彼らのためにも、ここで区切りをつけてもいいのかと………」
苦しい胸の内を明かす彼に、ブラッドレイ夫人は眉根を寄せた。
「お気持ち、お察しします。
ですが…お子様の事、諦めるのはもう少し待っていただけませんか。
中央と西部の憲兵司令部に、この件の再捜査と、お子様の捜索をするチャンスを与えてもらえないでしょうか。
長い間苦しんでいらっしゃるのに、まだ待てなんて酷かもしれませんが…ここでお会いできたのも何かのご縁だわ。」
彼女の提案に、夫妻は目を見開いて彼女を見る。そして、深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。
お願いします。大総統夫人がそう言って下されば、希望が出ます。
そうですね。私たちが先に諦めたら、あの子に申し訳ない。」
勇気をもらった。と、笑う夫妻に、ルースと大総統夫人も安堵の笑みを浮かべるのだった。
「僕のような子供が……他にもいるんですね……」
呟くルースに、ブラッドレイ夫人は眉根を寄せる。
「ええ……悲しい事に……
この国は繁栄と発展を続けているけれど、その陰に、こう言った哀しい事件がたくさんあるのも真実なの。
私の夫がこの国のかじ取りをするようになって20年近く経つけれど…すべての人に安寧を……というには、まだまだなのよ。」
辛そうに語る彼女の横顔を、黙って見つめる。
「だからと言って、手をこまねいている訳にはいかないわ。
あの人たちに諦めるなと言ったんですもの。私たちができる事を、精一杯やらないと……!」
夫人は力強く微笑んだ。
そして、彼女はルースの手に自分の手を重ね、語りかける。
「貴方のご両親も、きっと見つかるわ。」
ルースは眉尻を下げた。
「僕は…別に見つからなくても……
今の僕には、おばさん達やセリムがいてくれるから……」
そう答え微笑むルースを、夫人は静かに見つめる。
そして、何かを決意し、顔を引き締めて口を開いた。
「ルース君。あのね……」
その時、車が大きなブレーキ音を立てて急停車した。
車内がガクンと揺れ、体勢を崩す。
運転席と助手席のドアが勢いよく開かれた。視線を前に移すと、行く手を遮るように1台の車が止まている。
助手席の護衛が怒鳴るのと、殴打する音が響いたのは同時だった。
息を呑む2人の目の前で、覆面の男達が気絶した護衛と運転手を引きずり出し、手近の木の幹に縛り付けた。
2人は、声をあげることもできずに、ただその様子を見ていた。
後部座席のドアの1つが開けられる。
「夜分遅く申し訳ありません。奥様。」
そう言って、拳銃を手に挨拶する人物に、夫人は目を見張る。
「ホークアイ中尉!?」
その名に、ルースも驚いてその人物を見た。
「なぜ貴女がこんな事を!!」
驚き非難する夫人を庇うように、ルースはホークアイに体を向ける。
その時、反対側のドアが開かれた。
「突然の無礼をお許しください。」
そう言って、半身を車の中に入れてくる人物に、ルースが声を上げる。
「マスタング大佐!?」
「……やあ。君も一緒か。」
マスタングは苦笑を浮かべるが、すぐに真顔に戻る。
「一緒に来ていただけますかな?」
そう言って手を差し出す軍大佐に、息を呑む。
アルフォンスとルースが思い描いたシナリオとは違う方向へ、事態は動いていく。
『約束の日』前夜の事だった───
コメントを残す