銀時計

アルフォンスは今日何度目かのため息を漏らした。
予定では、今頃はリゼンブール行きの列車に乗っているはずだった。
いや、夜行列車があるかもしれない。
上着のポケットから簡易版の時刻表を取り出すとページを繰って、また嘆息する。
今夜は、この街で宿をとるのが決定した。
到着予定が遅れることを、ばっちゃんとウィンリィに謝らないと……兄さんはもう着いたのかなあ。
つらつらと思考を巡らせていると、隣に座る人物が陽気な声で話しかけてくる。
「いや、まったく。貴方があの高名な『鋼の錬金術師』だったとは。
我が東方司令部マスタング准将が見出し、史上最年少で国家錬金術師になられた方と一緒に仕事ができ、光栄ですよ。」
名乗ったりしなきゃ良かったなと後悔したが、あとの祭りだ。
イーストシティに到着早々、銀行強盗の立てこもり事件に遭遇し解決したのは良かったのだが、その時に現場責任者の一人に名乗ったのを、この人物に聞かれたのがまずかった。
駅に戻るはずが、逆方向に連れて行かれる羽目になった。
「それは…兄のことですね。」
苦笑いとともにそう答えると、彼をボスのところへ連れて行くために強引に車へ連れ込んだ少佐は、キョトンとした顔をする。
「史上最年少、12歳で国家錬金術師になったのは、兄のエドワードです。」
「ああ。知ってますよ、エルリック兄弟。中央じゃ有名だって友人が言ってました。」
運転手を務める尉官が、口を挟む。
「そうですか。僕が弟の方です。」
照れ笑いを浮かべるアルフォンスに、少佐は首を傾げる。
「貴方の兄上でしたか……だが、確か登録されているエルリック姓の国家錬金術師は一人だけのはず……」
「兄は、4年前に引退したんです。
2年前に、国家錬金術師になった時『鋼』の銘を僕が引き継いだというか、押し付けられたというか……」
「はあ……」
頭をかきながらの説明に、少佐はポカンとした顔で頷くしかなかった。
そうこうしているうちに車は目的地に到着し、アルフォンスはかつて兄とよく足を運んだ軍司令部の建物を前に、また一つ嘆息を漏らすのだった。

 

「やあ、鋼の。久しぶりだな。2年ぶりか?」
兄と同じ名で呼びかけ、ソファを勧めてくる将軍に笑いかけて、勧められるまま腰掛ける。
「お久しぶりです。マスタング准将。」
「事件解決に尽力してくれたそうだな。礼を言う。」
「いいえ。僕はただ、人質にされた人達を早く解放させたかっただけですから。」
「そうか。なんにせよ早く片付いて助かったよ。」
今夜会食の約束があるんだと、うそぶく彼に肩をすくめる。
「相変わらずですね。将軍職に就いたのに、まだ遊び歩いているんですか。」
呆れて言えば、今度は彼が肩をすくめた。
「私が身を固めるのは、大総統の席に座るときと決めているからな。」
「そうなんですか。」
一応結婚する意思はあるのかと感心し、自分たちにコーヒーを運んできてくれている補佐官を見る。
「なるべく早めにお願いします。いつまでも背中を守るのも、しんどいですから。」
相変わらず表情を変えることなく淡々とした態度で、カップを置いて去る女性にマスタングは眉間にしわを寄せ、アルフォンスは口の端を上げた。
「ところで、現場で怪我人の治療をしたそうだな。錬丹術か。」
「ええ。修めるのに予想以上に時間かかりました。誰かさんのお陰で。」
「──誰かさんのお陰で、じっくり修行できたの間違えではないかね。」
しれっっとした顔で笑みさえ浮かべるマスタングに、アルフォンスはムッとする。
「僕がシンで費やした時間のほぼ半分は、あなたの政治に利用されたようなものです。
貴方から預かったリン宛の書簡のおかげで外交特使扱いで受け入れられて、シンの中じゃ僕はリンと貴方の連絡係で定着してるんですよ。そのせいで、事情のわかってない連中にはスパイと疑われるは、いつの間にか僕も砂漠横断鉄道事業に関わらされてるし…
僕は純粋に、錬丹術を勉強しに行ったのに……」
苦情を捲し立てるアルフォンスを、マスタングは面白そうに眺めている。
「予定では1年で基本をマスターしたら、シンを足がかりにして東方諸国を見て回るつもりだったのに、まだどこにも行けてないんです。」
子供を政治に巻き込まないで下さいよ。と、膨れ面で准将を睨みつける。
「そうむくれるな。君は子供だというが、知識や経験、技量をを鑑みれば、そこいらの木っ端役人より、よほど有能だ。
それに、君にはまだまだ世界を見て回れる時間も、研究を完成させるための潤沢な資金もあるだろう。」
宥めるような口調に、アルフォンスは眉尻を下げる。
「そのことには感謝しています……
貴方が、グラマン大総統に国家錬金術師の規定改定を奏上して下さったお陰で、国家錬金術師は軍から解放されました。だから、僕も安心して試験を受けれたし、兄さんも反対しなかった。」
4年前の騒乱後、「国家錬金術師制度」が実はホムンクルスの計画を成就させる為の人材を集めるために作られたものである事を知ったグラマンは、制度を廃止することにした。が、それに異を唱えたのがマスタングだった。
錬金術はアメストリスにとってなくてはならない技術であり、錬金術は大衆のためにあるべきものという原則に立ち返り、国民生活に有益な術を行う術師を「国家錬金術師」として保護すべきであると提言した。
それを受けて、国家錬金術師の軍への帰属を廃し、軍籍がある者以外の軍事転用可能な研究を禁ずるという大幅な改定のもと、国家錬金術師制度を存続させることとなった。
国家錬金術師に与えられる数々の特権はそのままだが、国家資格を付与するための審査は知識や技量もさることながら「いかに大衆にとって有益な研究を行うか」という点に集約されるようになり、国家錬金術師の義務である毎年の査定に於いて、軍人でない者の研究が軍事転用可能であると判定された場合、資格をはく奪されることが明言されている。
国家錬金術師を大総統府直轄機関として据え置いたのも、民間レベルで危険な研究をさせないための監視である意味合いが大きい。
2年前、これまでお世話になった礼と今後の事につての報告を兼ねてマスタングの元を兄と共に訪ねた時、新制度での国家錬金術師試験を受けることを勧められた。
世界各地を巡って学問を修め、錬金術によって苦しめられている人を救うための方法を見つけ出したいと考えているアルフォンスには、旅費や研究費を気にせずに済むことはとても魅力的だった。しかも、兄の時のように「軍の犬」として使われることもない。
その時彼は、兄の時同様「道を提示するだけだ。」と言っていた。
確かに、選んだのはアルフォンス本人ではあるが……
「あの時のご親切にとても感謝して、兄さんが『あいつの親切には必ず裏があるから、気をつけろ。』と忠告してくれたのを深く考えなかったことを後悔しています。」
これ見よがしにため息を吐くアルフォンスに、マスタングはクックッと笑う。
「して頂いたことに自分の1を足して返すのが僕の新しい法則ですけれど、頂いている研究資金以上のお返しはしたんじゃないですか。」
アルフォンスの言葉にマスタングも頷く。
「そうだな。充分すぎる成果を得ることができた。」
「でしたら、今日の事は貸しという事でいいですね。」
ニヤリと笑うアルフォンスにマスタングは口の端を上げる。
「借りを作るのは気持ちが悪い。
今夜の宿は決まっているのか?」
「いいえ。」
「では、こちらで手配しよう。宿代はこちら持ちで。
1+1の法則だろ?」
「ありがとうございます。」
にぱっと屈託なく笑うアルフォンスに、マスタングも穏やかに笑う。
「そう言えば、お前の兄貴はどうしている?」
話題を変えてきたマスタングに、アルフォンスは目を細める。
「元気にしていますよ。西回りで世界放浪の旅を楽しんでいるようです。
最近、婚約したんですよ。」
我が事のように嬉しそうに語る彼に、マスタングは目を瞬かせる。
「婚約?あいつ、結婚するのか?」
「ええ。幼馴染の機械鎧技師と……」
「まあ。ウィンリィちゃんと……」
意外だと言わんばかりの問いかけに、少々驚いて答えれば、補佐官のホークアイが良かったわねと声をかけてくる。
「プロポーズは2年前にしたらしいんですけど、成人したのをきっかけに正式に婚約したそうです。」
「時に、エドワードは何歳になったんだ。」
「20歳ですよ。」
その答えに、マスタングは目を点にして肩をすくめる。
「その若さで、伴侶を決めてしまうとは……ずいぶんと早まったことをしたものだ。
せっかく世界を巡って、あらゆる国の美女を知ることができるというのに。」
両手を上げて勿体ないと言う彼に、アルフォンスは眉をピクリと動かす。
「兄さんはあなたと違いますから。
それに……本当に大切なものは、案外身近にあるんじゃないかな。」
しみじみと語るアルフォンスに、マスタングは軽く瞑目すると「そうだな。」と笑った。

宿が手配でき、執務室を去るアルフォンスをその背中が見えなくなるまでマスタングは見送った。
そんな彼を、リザ・ホークアイは面白いものを見たといった顔で見る。
「今日はずいぶんと機嫌がいいですね。来客を姿が見えなくなるまで見送るなんて。」
「───彼と一対一で話すのは初めてだから…かな。あんなに表情豊かだとは思わなかった。
と、いうか、鎧では言葉や態度でしか心情をくみ取ることができなかったからか……見ていて飽きなかったよ。」
「そうですね。とても楽しそうでしたよ。
………本当に…生身の彼と話せるようになって、良かったですね。」
「ああ。」
茜さす廊下で、二人は穏やかに微笑むのだった。

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