鼻歌交じりに白衣の女性が廊下を歩く。持っているトレイの上で、カチャカチャと楽しげな音を立てて皿に置かれたスプーンが踊っている。
「あら。それスザク君の?」
対向方向からやってきた別の女性に声をかけられた。
「ええ。そうよ。昨日のリクエスト。」
そう答えてウフフと笑う。
彼女の持つトレイの上には、皿に盛られたプリンが載っている。大きめなカスタードプリンのカラメルソースの上には絞り出された生クリームとサクランボまでトッピングされている。
「すごーい。おいしそう。大サービスじゃない。」
彼女を呼び止めた人物も、トレイの上のデザートに目をキラキラさせて見る。
「厨房に頼んで、ふんぱつして貰っちゃった。私たちの分もこっそり用意してもらってるから……」
そっと耳打ちされた内容に笑みがこぼれた。
「ウフフ。彼のおかげで、思わぬ役得ね。」
彼女らは、黒の騎士団に所属する医療スタッフ。看護師である。
ブラックリベリオンで、協力者の裏切りにあって銃弾を受けた扇要以上の重傷で運ばれてきた患者が、虐殺皇女の騎士であったことに驚きと怒りさえも覚えたが、輸血をしても青白いままの顔に医療従事者として、絶対に助けてみせると使命感をつき動かされた。
彼女らが非戦闘員であるため、敵としての枢木スザクと対峙することがなかったことが、彼を一人の患者として受け入れやすかったのだろう。
意識を回復するまで2週間かかった彼の記憶が6年分ない事にスタッフ一同困惑したが、目覚めた彼の少年らしい態度や表情に、戦闘による負傷者の治療やブリタニアの追跡からの逃亡に疲れた心が癒されている。
心のオアシスであるスザクが朝から元気がないのが、彼女らの目下の懸案事項だ。
「これで、元気が出ればいいんだけど。」
心配げな声で、プリンを持つ看護士が言うと、同僚もうんうんと頷く。
「ゼロが渡したタブレット、ずいぶん遅くまで見ていたようだし……」
「いくら、本人が知りたがったからって、敵として戦っていたなんて……教えるのは早すぎたんじゃないかしら。」
「本当よ。余計なことするんだから。あの”魁傑黒マント”は!」
声高に出てきた名前に、二人は顔を見合わせて笑う。
「あの、ゼロにあだ名付けちゃうんだから……っ。」
「子供って、面白いわね。」
実年齢17歳、思考回路は11歳。そのアンバランスさが、スザクが彼女らにウケている理由の1つでもあるのだった。
「スザクく〜ん。おやつの時間ですよぉ。」
明るい声で、笑顔と共に病室に入る。
しかし、スザクの返事はなく、ベッドの上にも彼の姿はなかった。
「あれっ?」
トイレかと思いそちらにも声をかけるが、スザクの姿はなかった。
慌てて病室から出ると、先ほど別れた同僚と鉢合わせた。
顔を引きつらせて病室から飛び出してきた彼女を同僚は訝ってどうしたのかと問いかける。
「スザク君がいないの!」
「えっ!?」
彼女もまた、病室に入るが彼の痕跡は確認できなかった。
「ど…どうしよう。
まさか出て行っちゃったんじゃ……っ。」
「落ち着いてっ。黙っていなくなるような子じゃないわ。」
青い顔でおろおろするスザクの担当看護師を叱咤すると、ベッド周辺を観察する。
それなりに片付いてはいるが、子供らしい雑然とした生活感の残るベッド周りに、ほっと安堵の息を漏らす。そして、あるはずの物がない事に気が付いた。
「ゼロのタブレットがないわ。
もしかしたら、自分で返しに行ったのかも……」
その言葉に、青ざめていた看護師も安堵する。が、すぐに慌てた声を上げる。
「まずいわよ。彼の記憶喪失の事はほとんどの団員が知らないのよ。」
この医療エリアからゼロの居室までは、多くの団員が利用する共用通路を通ることになる。ゼロの元へ向かう彼を他の団員が見たら……確実に殺気だつだろう。
二人は、顔を見合わせた。
「あの足では、まだそんな遠くまで行ってないかもっ。」
「早く探して、連れ戻さないと!」
二人は、バタバタと廊下を駆け出して行った。
壁に左手をつくことで体を支えながら、思うように動かない右足を引きずるようにして前進する。スザクは、肩で大きく息をしながら、彼女らの予想通りゼロの居室を目指していた。
自分のいる医療エリアと他のエリアとをつなぐ共有通路まではあと数メートル。視線の先に,、エリアの境界と思われる別の空気が漂っている箇所がある。あそこまで行けば、誰かにゼロの居場所が聞けるはずだ。
昨夜、ゼロから借りた資料を何度も読み返した。
総督殺害の嫌疑をかけられたスザクを代理執政の元から解放したのはゼロだった。その彼が総督殺害の実行犯であると宣言しているのにもかかわらず。自分は、自ら軍事法廷に赴き裁判に臨んでいる。
自分の無実を裁判で訴えたかったのだろうか。それとも、模範的名誉ブリタニア人であり続けるために、法廷に戻ったのだろうか。それとも…罰を受けたかったのだろうか……
当時のスザクの心情は、現在の自分では想像すらできない。
チョウフ刑務所で、自分が処刑するはずだった藤堂鏡志郎を黒の騎士団が奪いに来た時にも、最新型のナイトメアを操縦して戦ったニュース映像も見た。
自分が、黒の騎士団…ゼロと縁浅からぬ関係であることが理解できた。スザクの存在が、彼らにとって目の上の瘤であった事も間違いないだろう。
にもかかわらず、死にかけているのを放ってはおけなかったと、こうして助けてもらっている。
思い返してみれば、命の恩人に対して自分は初対面で「変態」呼ばわりするなど失礼千万であった。しかも、助けてもらった礼も伝えていない。
「ちゃんと…お礼言わなきゃ……!」
直接会って、非礼を詫び感謝の気持ちを伝えたい。その思いで、重く感じる右足を何とか動かしながら歩いていた。
「それじゃあ。また来るからよ!」
「早く現場復帰できそうでよかったよ。」
「お大事に。」
口々に室内の人物に声をかけて、3人の男たちがある病室から出てくる。
黒の騎士団の基盤となったレジスタンス「扇グループ」の中核メンバーである玉城・南・杉山の3人である。
ブラックリベリオンで負傷した扇の見舞いに来ていた。腹部を銃撃されたが、幸い重要な臓器に損傷はなく、医師の診断もそろそろ職場復帰できるだろうという事だ。そのことに、彼らも安堵し、先ほどのような言葉をかけて退室してきた。
晴々とした表情で軽口を言いながら持ち場に戻ろうという彼らであったが、自分たちの前方を歩く人物に眉をひそめる。
先ほど見舞った扇と同じ病衣を着たその人物は、後ろ姿からも若い人物であることが分かる。だが、自分たちの仲間に茶髪で年齢の若い男性がいただろうか。しかも、右足を負傷しているらしく、はた目にもはっきりと足を引きずっている。
「おい。大丈夫か。」
まっ先に行動を起こしたのは杉山だった。かなりつらそうに歩いている姿に、「手を貸そう。」と駆け寄る。
その厚意に、「有難うざいます。」と立ち止まった人物の顔を見た彼の表病が凍った。
「お前……っ!」
態度が豹変した杉山に、玉城と南もあわてて彼のもとに駆け寄る。そして、彼らもまた表情を強張らせるのだった。
「こんなところで何をしているっ。どこへ行くつもりだ。」
親切に声をかけてきてくれた人物が、自分の顔を見た途端厳しい態度をとったことに、スザクは息を呑んだ。
が、彼らにしてみればごく自然な態度であるとすぐに理解した。やはり、この中では自分は異分子なのだ。
警戒心をむき出しにしている彼らに、自分には敵意や害意がないことを分かってもらおうと一生懸命笑顔を作る。
「あ、あの。ゼロのところへ行きたくて……」
「なんだとぉっ。てめぇ!まだ、ゼロの事狙ってやがるのか⁉」
場所を尋ねようとしたのだが、無精ひげの男に怒鳴られ、肩をびくりと震わせた。
「ち、違います。助けてもらった、お礼を言いたくて……」
おどおどと答えるスザクに、3人は顔を見合わせる。
「随分殊勝じゃねぇか。
だがよう。そう言って俺たちをだまして、あの虐殺皇女の仇を討とうって腹じゃねえのか?」
「ぎゃっ虐殺?」
3人のリーダー格らしいその男が発した言葉に、スザクは愕然とする。
その驚きように、メガネの男…南が小首をかしげる。
「───やはり、知らなかったのか?」
確認のような問いかけに、スザクは何も答えられなかった。
昨日渡された資料の中には、そのような事実はなかった。仇を討つという事は、自分が仕えていた皇女はゼロによって殺害されたという事なのだろうか。
「どういうことだ?」
混乱し何も言えなくなったスザクの代わりに、杉山が問う。
「朝比奈から聞いたんだ。ユーフェミアが虐殺を指示していた時、こいつが気絶して倒れているのをゼロが見たらしい。」
「気絶?」
「ゼロが言うには、邪魔させないように一服盛られたんじゃないのかって……」
「て……いう事は、何だ?こいつは、皇女のやったことは知らないってことか?」
「行政特区日本に日本人を集めるために、総督殺しの容疑者にされて有名になったこいつを利用した……とも考えられるな。」
「騎士任命の時から計画していたかもしれないってことか?」
目の前で繰り広げられる会話に、スザクの頭は完全にパニック状態に陥っていた。
いったいこの人達は、何を言っているんだ?
虐殺?利用?行政特区日本?
何なんだそれはっ!一体何のことなんだっ!
「───知らない……知らないよっ!」
突線大声を上げたスザクに、3人の男は驚いて彼に注目する。
「ねえ。何なんだよそれっ!僕を騎士にした皇女様が何をしたって言うだよっ。僕が、何に利用されたんだ⁉」
怒りにも似た形相で詰め寄るスザクに、3人の態度にも緊張と警戒が戻った。
「何とぼけたこと言ってやがるっ。てめぇの『皇女様』が、日本人は虐殺しろって命令したんじゃねえか!」
玉城が怒鳴りつけた瞬間。スザクは、ズルズルとその場に座り込んでしまった。
「……日本人の虐殺……そのために、僕を利用した……?」
「お、おい。大丈夫か?」
蒼白な表情で、うわ言のように呟くスザクを杉山が気遣う。
「その、命令は…実行された?」
問いかけてくるスザクに、杉山は目を見開き硬い表情で頷く。
「たくさん、死んだの……?」
「ああ……式典会場は血の海だった……」
眉根を寄せ、苦しげに答える杉山に、息を呑む。
「また……たくさん人が死んだ……僕のせいで……」
「おい……大丈夫か?病室に戻った方がいいんじゃないのか。」
放心状態のスザクに、3人は代わる代わる声をかけ、立ち上がるように促す。ようやく両脇から支えることで立ち上がったスザクの顔色はまるで死人のように青白く、呼吸も乱れていた。
「おい。しっかりしろっ。」
杉山が慌てて声をかけるものの、スザクは苦しげな呼吸を繰り返し、やがて激しく咳こみだした。
「スザク君っ!」
看護師が2人。慌てた様子で駆け寄ってくる。
苦しい息、止まらぬ咳、胸が張り裂けそうだ。
いっそこのまま裂けてしまえばいい。
そうすれば、自分のせいで殺された人たちへの罪滅ぼしになるだろうか。
周りの大人たちが、何か必死に訴えている。
何を言っているのか聞こえないよ。
やがて視界も真っ暗になった。
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