半身を起こした状態で、腰から90度回転して両足を床に下ろす。そのままの状態で、そろりと立ち上がってみる。
「うん。大丈夫。」
両足で体を支えていられる。立つことはできる。問題は歩行だ。
ベッドに手をついた状態で、足を横に滑らせるように動かす。そろりそろりとカニ歩き。ベッドを半周したところで、一息ついた。大丈夫、胸もまだ苦しくない。
右斜め後方。自分に酸素を供給してくれていた機械が、その役目を終えて壁際に設置されている。あそこに手をかけれれば……
左足を踏ん張り、右足を大きく斜めに踏み出す。前のめりになって右手を機械につこうとしたが、わずかに届かなかった。
ドスンと大きな音を立てて床にたたきつけられた。
「いっ痛、たたた……」
立ち上がろうと体勢を直そうとしたとき、病室のドアが勢いよく開かれた。
「大丈夫っ?」
声とともに、制服姿の女子高生らしき人物が飛び込んでくる。
「あっ……だ、大丈夫です。ちょっと、転んだだけだから。」
四つん這いの姿勢で手掛かりを探していると、腰に腕が回され、体を起こされる。脇からその女子高生が体を入れてくると、腕をとって自分の肩に渡らせ、スザクの体を支えてくれた。
「ほら。どうしたかったの?」
「あ、ありがと……その……と、トイレに…行きたくて……」
そう言って、目の前にある病室内のトイレのドアを見る。
「ああ……」
恥ずかしそうにぼそぼそ話すスザクに、女子高生もつられて頬を赤くする。
「まだ、まともに歩けないんだから、看護師さんに頼んで、車いすで運んでもらえばいいのに。」
「そうなんだけど……こんなことで呼ぶの悪いし……」
「恥ずかしいから?」
問いかけに頷くと、耳元で息を吐くのが聞こえた。
「ここは病院で、あんたは患者なんだから、余計な遠慮なんかしなくていいのよ。」
ドアの前に連れてくると、女子高生はそっと体を離した。
「用が済んだら、ベッドまで連れて行くから。」
「は、はい……」
耳まで真っ赤になりながらトイレに入るスザクに、カレンはまた大きく息を吐く。
「神根島じゃ、裸の私をお構いなしに投げ飛ばして、拘束したくせに……」
11歳の男の子って、こんなこと意識するのかなあ。
妙に初々しいスザクに、くすぐったい思いをしながら、カレンは、本当に記憶が逆行してしまっていることを痛感する。
意識が戻ってから1週間。
体の方は順調に回復し、食事も、普通食になり食欲もある。だが、カレン達がよく知る「枢木スザク」には、出合えないままだ。
ブリタニアの騎士候であった枢木スザクの姿をしているが、中身は、まさに11歳の子供そのものだ。
「はい。」
ベッドに腰を下ろさせてやると、スザクは、はにかんだ笑みを浮かべる。
「お姉さんは、ブリタニアの学生さん?」
「えっ?ああ……」
スザクに指摘されるまで、自分が学生の姿をしていることを失念していた。トウキョウからここまで来るカモフラージュのための扮装を解く前に、この医療エリアに立ち寄ったのだった。
「違うわ。この黒の騎士団の構成員。日本人よ。」
「日本人……」
不思議そうに見つめてくるのに、肩をすくめる。
「半分ブリタニアの血が入ってるから、見た目はこんなだけど。」
「あ…ご、ごめんなさい。その。じろじろ見て……
日本人て……なんか、久しぶりに聞いたなあと思って……」
「そう?ここでは普通に使っている言葉よ。」
「そっか。ここでは、日本人て言っていられるんだ。」
ほっとしたような表情をするスザクに、カレンは眉根を寄せる。
「あ。初めまして。枢木スザクです。助けてくれてありがとう。」
自己紹介と改めての礼を言うスザクに首を傾げる。そういえば、まだ名乗っていなかった。
「紅月カレンよ。……初めてじゃないんだけれど。」
そう話すと、きょとんとした顔をする。
「あんたが、目を覚ました時に会ってるんだけど。」
そう言って、セットしていた髪を自分の指で崩してみせる。すぐに、彼女本来の髪型に戻った。
「あーっ。あの時の!」
すぐに、思い出したようだ。
「あの、変態仮面の隣にいた………っ!」
「変態、変態、言うなっていうのっ!」
ごつんと、スザクの脳天に、げんこつが落とされた。
「だって、あのカッコ……どう見たって変……!」
変態じゃないかと言いかけ、カレンの右手が拳を作っているのを発見し、とっさに両手で頭を守る。
「私たちのリーダーを、いつまでもそんな言い方しないでちょうだい。あんたにとっても、命の恩人なんだから。」
「命の……恩人?」
「そうよ。死にかけているあんたを、助けるって決めたのはゼロなんだから。」
「───僕、死にかけてたんだ……」
だったら───放っておいてくれてよかったのに。
言葉にできぬ想いを、そっと胸の中でつぶやく。
俯いたままのスザクに、カレンはしゃがんで彼の顔を覗き込む。
「ごめん。恩着せがましいこと言ったわね。」
謝罪する彼女に、首を振る。
「でも、あの人は…ゼロは、とても優しい人なのよ。
ブリタニアに虐げられている日本人を助けるために、この組織を作ったの。もともとここに住んでいたのに、底辺に追いやられて、救いを求めることも、怒りの声をあげることもできない人の代わりに戦ってる。正義の味方みたいな人なんだから。
だから、あんたのことも見捨てられなかったの……」
「そっか……正義の味方か……
うん。分かった。じゃあ、呼び方変えるね。」
スザクは、カレンに微笑みかけると、目線を上げて、うーん。と考え始める。
唖然として見つめるカレンを他所に、スザクはポンと手を打つと得意げな顔をして、こう言った。
「じゃあさ。『魁傑黒マント』ってどう?正義の味方っぽいでしょ?」
ニコニコ話すスザクに、カレンは思わず吹き出し、声をあげて笑う。
「なに、それっ!」
ゲラゲラ笑う彼女に、スザクは頬を膨らませる。
「えー。なんだよー、かっこいい名前じゃんか。」
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