a captive of prince 第5章:ナリタ攻防 - 5/7

 気がつけば政庁の自室のベッドの上…すっかり日が落ちてしまったのか、窓から射し込む明かりのみの薄暗い部屋で朦朧とする意識のまま、スザクは、ふと、右手を天井にかざした。
 なんで突然”あんなもの”を見てしまったのか。後もう少しでゼロを捕らえることが出来たのに。
「クロヴィス兄さんの敵を取れたのに……」
 無惨に頭を撃ち抜かれた兄の姿が頭をよぎる。
 呆然と右手を見ていたスザクであったが、その目が大きく見開かれ表情が強ばっていく。
「あ……あ…っ。」
 手が…右手からどす黒いものが…指の間から血がどろどろと流れてくる。
 それは、鮮血のような朱ではなく、臓腑から絞り出したような赤黒い血。
 あの日、父の周りに出来た血だまりのような『赤』。
「う…わぁぁぁぁぁああああっ!」
 スザクは手首を強く握り、溢れ出て来る血を止めようとした。それでも、それはどろどろと湧き出し、腕を伝い肘まで赤黒く染めていく。
「ああっ!」
 手をシーツに、毛布になすり付ける。拭いきれないと解っている。
 耳の奥で何かが囁く……それが、お前の罪の証だとあざ笑う声がする。
 その声は、父のようでも皇帝のものにも思えた。
「止めろ。止めてくれぇ!!」 
 ついにスザクは、頭を抱え絶叫した。
「殿下。スザク殿下!如何されましたかっ!!」
 ドアが激しく叩かれ、外で警備に当たっていたのだろう人物の緊迫した声が響く。
 スザクは、その音にようやく正気を取り戻した。
 辺りは淡い光に包まれた静寂が支配している。先ほどまで血まみれだった右手には、何の痕跡もない。
 スザクは、大きく息を吐くと額の汗を拭った。
 部屋の外からは、スザクへの呼びかけが続いている。
「スザク様?」
「ああ。すまない。少しうなされていたようだ。大事ない。」
「医師を呼びます。」
「それには及ばない。もう大丈夫だ。」
「しかし──」
「本当に平気だから……少しひとりにしてくれ。」
「……イエス ユア ハイネス。」
 ドアから人が離れていく気配がする。持ち場に戻ったか、スザクの目が覚めたことを報告に行ったのだろう。
 ベッドサイドテーブルの水差しからコップに水を注ぐ。
 それを一気に飲み干すと、ベッドから降り窓際に立った。
 はめ殺しになっている大きな窓からは、色とりどりに照らされた租界の夜景が一望できる。
 その光景が美しければ美しい程、スザクは虚しさを覚えるのだ。
「僕は何故、こんな所で”生きて”いるんだ…」
 父を殺し、同胞と闘い傷つけ殺し、彼らを踏み台にして……
「これじゃあ。父さんがやろうとしたことと変わらないじゃないか!」
 強化ガラスの窓を拳で殴る。鈍い音が部屋中に響いた。
 伏せていた目をもう一度窓の外に向ける。すると、視界に白いものが入った。
 よく見ると、それは風に乗って舞う白い花弁だった。
 風が屋上庭園に咲くバラを散らせて、花弁をここまで運んだのだろう。
「バラの花びらがこんな所まで……」
 ゆっくりと下界に下りていく花弁を目で追っていたスザクであったが、それに誘われる様に部屋着を羽織るとドアを開けた。
 皇族の居住区は、政庁内でも隔離されたエリアにある。
 その中でもスザクの部屋は、現総督コーネリアや副総督であるユーフェミアの部屋からも離れた所にある。
 警備も総督・副総督を優先した配置になっているため、部屋の前に警備兵がいる訳ではない。
 先ほどは、巡回中の者がスザクの悲鳴を聞いて駆けつけたのだろう。
 廊下の入り口に立っている警備兵の姿を確認したが、彼がスザクに気がついた様子はない。
 スザクはそれにほっと息を吐くと、廊下の奥にあるエレベーターへ足を運んだ。エレベーターは屋上庭園につながっている。
 エレベーターを下りると、そこは芳しい香に包まれたバラ園である。
 このエリアに着いたその夜、この場所で亡き兄を思って涙した。
 クロヴィスがこよなく愛したアリエスの白バラは、月光に照らされて蒼白く光っている。
「クロヴィス兄さん……」
 かつてアリエスの離宮で、この花が何故好きなのかスザクに教えてくれた。
「この花は中心の色が緑だろう。この緑がとても美しくてね。
スザクの瞳の色と同じだからか…そういえばこの白バラは、お前そのもののようだ。」
「クロヴィス兄さん。僕はそんな綺麗じゃないです……」
「スザク。お前は、自分が言う程穢れてなどいないよ。お前の心は、この花の様に白く潔い。
だから私は…いや、兄上も姉上もお前のことが好きなんだ。」
 そう言って優しく微笑む兄の顔が瞼に浮かぶ。
「兄さん。僕はそんな清廉潔白な人間じゃない。」
 僕の心にはどろどろとした汚い物が渦巻いている。
 だから……ルルーシュに頼まれたから…ナナリーが殺されそうだったからと理由を作って、父さんを殺したんだ。

 お前はもう刀を抜いてしまった。一度抜いた刃は血を見るまで鞘には収まらぬ。 お前の刃はまだ収まっていない。
 例え父をその手にかけたとしても、お前の血と体がそう言っている。
 どこで刃を収めるか…流した血に、これから流し続ける血にどう責任を負うか…

 父を殺したその場に現れた、キョウト六家の長老…日本という国を裏で牛耳って来た妖怪、桐原泰三の言葉が蘇る。

───それができぬというのであれば…この場で命を断て───

 スザクは、いつしか庭園の端まで来ていた。
 屋上をぐるりと取り囲む腰高のフェンス。そこに手をかける。
 一陣の風が庭園の花々を散らして攫っていく。夜の闇に消えようとするその白い花弁に思わず手が伸びた。
 すると、背後から腰を抱え込まれ、舞い散る花弁から引き離された。
「あっ……」
 ボスンと背中に当たる感触、自分を包む温もりに、スザクはすぐに思い当たった。
 腰に回された腕に、自分の想像が正しかったことを確認する。
「兄さん……」
 後ろを振り返れば、いつも自分を見守ってくれている淡い紫の瞳と柔らかな黄金色の髪があった。
「スザク。こんな所にいたんだね。部屋にいないから探してしまったよ。」
「すみません。急にここの花が見たくなって……
兄さんこそ、どうしてここに?」
「ロイドからお前のことを聞いてね。ちょうどEUとの緩衝地帯の視察もあったから、こちらに寄ったんだよ。」
 心配で心配で飛んで来たのだと言えば、スザクが落ち込むのが解っているので、あくまでついでに寄ったのだという兄の思いやりに小さく笑みが漏れる。
「夜のバラ園は美しいが、こんな薄着でいつまでもいるのは体に障るよ。
そろそろ中に入らないか。」
「はい。」
 そう頷くスザクの頬を夜気を孕んだ風が撫でる。
 その冷たさにブルリと背中を震わせると、シュナイゼルが自分の体に密着する様に抱き込んでくる。
「やはり冷えてしまっているね。」
「すみません。ご心配をおかけしてしまって……」
「スザク。辛かったら、いつでも本国に戻って来ていいんだよ。」
「いえ…いつまでも逃げてばかりはいられませんから……」
「そうかい……?」
 兄の腕の中で強がってみせるものの、内心では動揺していた。
 自分はあのとき何をしようとしていた?
 7年前のことを思い出し、死のうとしてしまったのか……?
 だが、それはただの逃げでしかない。贖罪にはなり得ない。
 あのとき無様に生き残ってしまったのだから、死ぬのなら何か日本のためになる死に方でなければならない。
 そう。自分には、こんな真綿に包まれたような温かい世界にいる資格などないのだから。
 心配げなシュナイゼルの視線を感じながら、口を真一文字に結び、正面を見据えるスザクの表情には、1つの決意が現れていた。
 それが、隣に立つ兄に悟られていないことを密かに願いながら。

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