ニッポンの皇子さま その4

 動揺をごまかすために紅茶を口に運んだ。が、口に含んだだけで、カップの中身とは全く異なる味が口に広がった。
 咄嗟に、カップを倒して気をそらし、吐き出したものを吸ったハンカチでこぼしたものを拭き取ったが、目の前の男にはお見通しだろう……
 不安が一気に押し寄せてくる。手が震えている。
 ダメだ。しっかりしろ!枢木スザク。
 心の中で叱咤するスザクの手に、カノンの手が添えられる。
 弾かれた様に彼を見るスザクには、表情を取り繕う余裕もなかった。
「大丈夫ですよ。」
 と、頷かれた時、カノンが「落ち着け」と言ってくれている様に感じた。
 そうだ、落ち着け。この国に渡る時に、どういう扱いを受けるか解りきっていたはずじゃないか。だったら、相手に付け入る機会を与えるな。動揺など見せちゃダメだ。
 シュナイゼルの言う通り、父さんが自分を誇りに思ってくれているのなら。
「失礼しました。宰相閣下の前で、少し緊張したようです。」
 震えの止まらない右手を、左手でぎゅっと掴む。
 虚勢を張って笑ってみせるが、ぎこちないのはどうしようもない。
「やはり、貴方は優秀だ。」
 感心した様に笑う帝国宰相に、スザクは憤りを隠せなかった。
「───どういう意味でしょう。」
 怒りも露に睨みつける。
 シュナイゼルは、そんなスザクの様子を全く意に介していないといった涼しい表情で、淡々と語りだす。
「貴方の、対処の方法がです。私の目論み通りあのカップに口をつけた後の……
 動揺を誘ってみたのですが、貴方はこちらが仕掛けた罠を、難なく躱してしまった。」
 『罠』という単語に、スザクの眉がピクリと動く。瞳は、ますます剣呑な光を宿していった。
「……どういうおつもりで、こういう事をなさったのか伺っているのです。
 自分はこの国に着いた時点で虜囚と同じだ。その上で、このような真似をなさるという事は、貴国には我が国との同盟を結ぶ意志無しと取りますが。」
 それでよろしいか。と、噛み付かんばかりの勢いで睨みつける
 相手を殴りつけたい衝動を、かなりの忍耐で抑えていた。
 そんなスザクに、当のシュナイゼルは相変わらず涼しい顔だ。
「とんでもない。先も申し上げた通り、日本との同盟は我が国にとっても有益な事です。
 ただ、純粋に、サムライと評される枢木首相の愛息がいかほどの人物か、試してみたくなっただけです。」
「試す?自分をですか?」
 シュナイゼルの言葉に、スザクはあっけにとられた。
 目の前の宰相は、悪びれた様子もない。捕らえ所がない。
 スザクは、悔しげに顔を背けた。
「興味本位に初対面の人間をからかうとは……宰相閣下の人格を疑われても文句は言えませんよ。」
「からかってなどいません。貴方がご自分の身を護る術をどれほど身につけておいでか。これから、この国で生活する上で、大変重要な事ですからね。
 もっとも、この程度の事も躱せないようであれば、お言葉通り『人質』として利用させて頂くのもやむ無しかとも思っていましたが。」
 そう、うっすら笑うシュナイゼルに、背筋が凍る。
「殿下。いい加減になさいませ。」
 新しい紅茶を入れて来たカノンが、たしなめる。
「ですから、ご忠告申し上げましたでしょう。そんな事をしたら、枢木卿は絶対に殿下を信用しませんよ。いまもそうやって怖がらせて……可哀想に。さっきも手が震えていたのですよ。」
「マルディーニ卿……」
 困惑と非難が入り混ざった視線で名を呼べば、肩をすくめて新しい紅茶を勧めてくる。
「ハーブティを入れてきました。気が落ち着きますよ。」
 にこやかに渡して来る彼に、笑顔で受け取る。
「ほら。こういう風に接すれば、笑顔だって見せてもらえる。
 枢木卿、申し訳ありません。あの方は、気に入った相手に意地悪をしたくなる悪い癖をお持ちで……でも、決して悪意があっての事ではないので、それだけは信じて下さい。」
「はあ。でも、気に入っているというのは…殿下とは初対面のはずですが。」
「先ほども申し上げたでしょう。お父上とは、大変懇意にさせてもらっていましてね。国際的な会合や電話対談の度にご愛息の自慢話を聞かされまして。それで私も貴方の事をすっかり気に入ってしまい、つい、悪ふざけを……
驚かせて、怖がらせてしまって申し訳ない事をしました。」 
 本心からかは定かではないが、素直に謝罪して来るシュナイゼルに、スザクも顔を赤らめて頷く。
「いえ……こちらこそ、大声で失礼しました。」

 スザクとシュナイゼルの会談は、室内から屋外に場所を移した。
 さわやかな風に甘い香りが鼻をくすぐる。
 美しいと賞賛した庭園の東屋で、午後のティータイムを楽しみながらとなった。
 スザクは、ブリタニアに来て初めて、開放感に浸っていた。
 後ろに控える衛兵や、となりにいる胡散臭い宰相がいなければ、目の前に広がる芝生に寝転びたいくらいだった。
「それにしても、日本の菓子は繊細で愛らしいね。」
 紅茶と一緒に出されたのは、和菓子の練りきりだった。
 花や果物を象ったそれを、フォークで切りながら食べているシュナイゼルは、少々甘すぎるかな、と首を傾げる。
「そもそもこの菓子は、抹茶と一緒に食べる様に作られていますから、この紅茶では少々薄いかもしれませんね。」
「マッチャとは、グリーンティの事だね。」
「ええ。それと一緒に頂くものですから、甘味が強いんです。」
「枢木卿はそのお茶を入れられるのかい?」
「えっはい。一応嗜みとして身につけていますが……茶の湯という作法があるんです。」
「ほう。一度その茶の湯というものを体験してみたいものだね。」
「閣下がお望みなら、いつでもお立てしますよ。道具は一式持って来ていますから。ただし、その前に自分がどのような立場に置かれるのか、教えて頂けますか。」
「我がブリタニアは、貴方を国賓としてお迎えしますよ。」
「国賓?留学生ではなく?父が首相でも、自分はただの学生ですよ。」
「だが、貴方は京都六家の1つ枢木家の次期当主で、皇の姫のご名代としてこちらに赴かれた。それだけで、国賓としてお迎えすべき人物だと、皇帝陛下も私も考えております。」
 人質でも留学生でもなく、国賓として受け入れるというシュナイゼルの言葉に、スザクはしばし呆然としてしまった。
「……ありがとうございます。」
「国賓として滞在されるのですから、日本とブリタニアの友好のためにご尽力願いたいところなのですが。」
「ええ、それは勿論。自分が役に立つ事でしたら。」
 スザクの返事に、白の皇子と呼ばれる帝国宰相は薄く笑う。
「では、手始めに、私の弟の友人になって貰えないだろうか。枢木スザクくん。」
「はい?」

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