真理の扉からアルの身体を持ってきちゃった 2

───ここは、寒いな………

一度、温もりを体験したしまったからだろうか。毛布に包まれていても、足元から伝わる石の冷たさが堪える。冷えがじわじわと身体全体に広がってきて、「アルフォンス」は身を縮こませた。

一度は沈静化したが、現況は新たな侵入者によって喧噪へと変わっている。
浅黒い肌の男と、小さな少女が封じられているはずの錬金術を使って、人造人間に捕らわれていた少年らを解放したのだ。
なぜ、彼らが錬金術を発動できるのか「お父様」にも分からない様子だ。
浅黒い男が、「お父様」の顔を鷲摑みにして術を仕掛けた。が、彼は傷一つ負うことなく攻撃してきた男に反撃する。
すんでのところで攻撃から逃れた男は、形勢不利と判断したらしくその場から逃走した。気が付けば、鎧と少女も姿が見えなくなっていた。
人造人間ホムンクルスらが後を追っていく。
いや、1人だけ…先ほどまで仲間だった鋼の少年と交戦している。
少年は、人造人間ホムンクルスに飲み込まれた彼の仲間に訴えかけながら拳をふるっていた。それも、人造人間ホムンクルスに少年が抑え込まれて終了した。
浅黒い男と少女は逃げ遂せたらしい。鎧だけが連れ戻された。
「……ったく。余計な事ばかりしてくれて……
お前らが大人しくしていれば、こっちだって手出ししないんだよ。」
エンヴィーが嘆息交じりに少年らに言い聞かせる。
「お父様」は、彼らと「アルフォンス」をどこかへ連れいていくよう指示を出した。
巨大な体のエンヴィーが、その姿をひとりの人間に変える。
その様子に「アルフォンス」は目を見開いた。ここは、あそこにはない刺激に溢れている。
なんとも興味深く飽きさせない世界だろう。
「大丈夫?」
鎧が、気遣わし気に声をかけてきた。
「え……?」
「そんなに震えて……ごめん。怖かったよね。急にあんなことに巻き込まれて……」
自分の魂に同情され、「アルフォンス」は瞬きする。
「ううん。危険は回避していたから……それより、ここ……寒くて……」
「ええっ?寒くて震えてるの?
そうか、何も着てないから……」
「体が冷えちまったのか。すまん。お前の事すっかり忘れて……」
鋼の少年が毛布の上から体をさすりながら、謝罪する。
「おい。おチビさん達。移動するからついて来な。」
軍人に変身したエンヴィーが指示してくる。
「あ、ああ。歩けるか?」
よろよろと立ち上がると、ふわりと浮いた。少年が横抱きに抱え上げたのだ。
「運んじまったほうが早いな。」
「兄さん。僕が運ぶよ。」
「いや。大丈夫だ。全然重くねえから……こんな、ガリガリになっちまって……ごめんな…アル……」
「ううん。」
呟くような謝罪に答えたのは、鎧の方だった。

少年の腕の中で、「アルフォンス」は顔をしかめた。
「……何か臭う…鉄の様なツンとした……」
「うん?俺の右腕、機械鎧オートメイルだからな。」
その臭いだろうというのに首を振る。
「腕じゃない……君の身体から……」
頭を預けてある、彼の胸元の臭いをかいでそう答えた。
「ああ……血だまりの中をかなりの時間動きまわったからな……臭いが染み付いちまったか。」
「ち、血だまりって……っ。」
鎧が驚いた声を上げる。
「あいつの腹の中……今まで喰ってきたもので溢れかえってた……当然、そこから出た血も……」
「………っ!!」
突然、「アルフォンス」は今まで経験しなかった感覚に襲われた。腹部の、胃の辺りがぐっと締め付けられるような感覚と同時に、何かがせり上がってくるような激しい違和感。
「……ぐっ……!」
片手で口を覆い背を丸める姿に、少年は驚いて足を止める。
「おい。どうした⁉……気持ち悪いのか?」
「気持ち……?……これは…吐き気……胃酸が食道まで上がってきて…胃が締め付けられているような……」
「吐きそうなのか?」
慌てて問いかける声に首を振る。
「だっ大丈夫?」
鎧が体を覗き込み、先を歩くエンヴィーに待ってくれるよう声をかける。
その直後、襲ってきていた強烈な吐き気は軽減された。
「どうした。」
慌てて取って帰ってきた、エンヴィーが問いかける。
「僕の身体が、具合悪そうなんだ。」
青い顔をして口元を手で覆っている「アルフォンス」に、エンヴィーは眉をしかめる。
「血の臭いに酔ったんだろう。お前、すごく臭いぞ。」
そう言って、「アルフォンス」を少年から奪い取るようにして自分の腕に抱え上げた。
「あ……っ。」
エンヴィーの指摘に、少年は眉尻を下げ申し訳なさそうな顔をする。
その様子に、「アルフォンス」は小さく首を振った。
「違うよ……君のせいじゃない。」
そう言って、視線を鎧に向ける。
「何か…思い出した?」
その問いかけに、アルフォンスは愕然として、おろおろし始めた。
「あ……うん。」
兄の「血だまり」という発言から、過去の凄惨な記憶がよみがえったのだ。
片手片足を失って、壁に力なく寄りかかっている兄。その周辺を覆い隠すような大量の赤い液体。
自分達が描いた錬成陣の中に転がっている、血にまみれた肉塊。
もし嗅覚があれば、その場に漂っている臭気に吐き気を覚えただろう。
「うっ……!」
身体がまた吐き気を訴えた。
「僕が……思い出したから……」
「君が…今思い出した記憶は……吐き気をもよおすほどの、精神的トラウマという事だね。」
アルフォンスは、言葉もなく頷く。
身体と魂は精神でつながっている。だから、アルフォンスが思い出したあの光景に身体が反応し、異変を引き起こしたのだ。
「なんだか良く分かんないけどさ。鎧くん。自分で自分痛めつけるようなこと考えるの止めた方がいいよ。この身体、ただでさえ弱弱しいのに余計弱っちゃうじゃん。
死んじまったら、まずいんじゃないの?」
返れなくなるよ。と、エンヴィーが皮肉ぽく笑った。
「どっちにしろ、その臭い体じゃ建物の中を歩き回れないな。汚れ洗い流して、着替えさせなきゃ……」
面倒くさそうに呟くエンヴィーを先頭に、エレベーターらしき箱に乗り込む。
「……どこへ行くんだ……」
その疑問はすぐに解決した。
「ここ……!」
「軍の中央司令部じゃねえかっ!」

───暖かい………

頭上から降り注ぐ湯を浴びながら、「アルフォンス」は目を閉じる。
そんな彼を、身体を支えながら石鹸の泡で撫で上げている少年の表情も、とても穏やかだ。
「気持ちいいか?」
問いかけに黙って頷く。

今、彼らは軍施設のシャワールームにいる。
エンヴィーは少年に着替え一式を渡すと、汚れた体を洗うように指示した。
少年は、彼の腕の中にいる「アルフォンス」にもシャワーを浴びさせろと要求した。
「身体、温めてやらないと。それに、こいつ4年間体洗ってないし。」
その言葉に、エンヴィーは、押し付けるようにして腕の中のものを渡してきた。
その、あからさまな態度に、アルフォンスは憤慨する。
「人の事を汚いものみたいに見ないでよ!」
アルフォンスは身体の分の着替えも要求したが、それは却下された。
「そいつは、その姿の方が都合がいいんだ。」
「どういうことだよ。」
「軍の病院に入院させるからさ。
きちんと栄養取らせて、体力つけなきゃ。
身体が死んじまったら、魂がどうなるか分かんないだろ。」
こっちで、しっかり管理してやるから。と言ってドアを閉める。
「軍の病院だなんて……それじゃあ、まるで人質じゃないか。」
「………まるでじゃなく、そのつもりなんだろうさ。」
厳しい顔で少年が言った。
「……どっちにしても、こんな状態じゃどこか病院に入れるしかない。
軍なら、融通が付くから丁度いいだろう。」
宥めるように言い含められ、しぶしぶといった様子で頷く。
「……うん……でも…変な実験に使われないかなあ……」
不安げに言うアルフォンスに、少年も顔を強張らせる。
「……その心配はないよ……きっと。」
「アルフォンス」は断定した。
「“大切な人材”を興味本位な実験の材料に使ったりしない。利用するなら、君たちを自由に動かすための“人質”の方がずっと有益だ。」
理路整然と話す「アルフォンス」に、2人は目を瞬かせる。
「───あいつらの考えが分かるのか。」
問いかけには首を横に振る。
「あの場で僕が得られた情報から推測したに過ぎないよ。
それに……血印で定着している魂が、いつ、鎧に拒否反応を起こすかわからない。」
身体はここにあるんだから。
その言葉に、アルフォンスはびくりと体を震わせた。
「万一のために、身体は手元に保管しておくべきと考えたかもね。」
淡々と語る「アルフォンス」に、鎧は不機嫌そうに呟く。
「まるっきり、他人事だね。」
「………情報から推察できる可能性を言っただけだよ。」
「それが、『他人事』だって言ってるの。自分の事なのに。どうしてそんなに淡々としていられるのさ。」
厳しい声で問いかけてくるのに、「アルフォンス」は肩をすくめる。
「淡々として聞こえるのは、感情がないから……僕には、記憶や感情はない。それは魂の領分だ。
気に障ったのなら謝るよ。ごめんね。」
感情のこもらない謝罪に、アルフォンスは嘆息する。
「謝られている気がしない……感情がないっていうのは、確かみたいだね。」
「僕は、『アルフォンス・エルリック』という人格の入れ物だ。人格を形成しているのは“魂”の方で……だから、君は血印で魂を定着させる方法を選んで錬成したんじゃないの?」
尋ねかけられ、少年は眉尻を下げた。
「あの時は、無我夢中だったからな……」
ともかく、シャワー浴びて温まろうぜ。
雰囲気が良くないアルフォンスの身体と魂に、少年が苦笑しながら提案して現在に至る。

アルフォンスは、兄に支えられながらうっとりとした表情で洗ってもらっている自分の身体を、複雑な気持ちで眺めていた。
自分で、自分の表情を客観的に見るとは想像したこともなかった。
ただ、自分の世話をしている兄が、とろけそうなほど幸せそうに微笑んでいる姿が見れるのは嬉しかった。
シャワーのコックが閉められる。身体の水分をタオルで吸うように拭き取ると、その長い髪をタオルで挟むようにして乾かす。
自分の髪も、そうやって乾かせばいいのにと考えていると、身体をタオルで包んで抱き上げ、ドアを背中を使って開けると、アルフォンスに渡してくる。
「ほれ、一丁上がり。」
「うん。ありがとう。」
アルフォンスは、受け取った身体を毛布でくるんでやった。
「さっぱりしただろう。」
頬を幾分か上気させ、気持ちよさそうにしている身体に笑いかけると、少年は自分を洗うためにシャワーに戻る。
「ありがとう。……え、と……にいさん?」
「何で、そこで疑問形?」
兄に、礼を言いながらも疑問形で呼びかける身体に突っ込みを入れると、困惑した顔でアルフォンスを見上げてくる。
「彼の、呼称を知らないから。」
「こしょう?」
「個体を識別するためにつけられる名称だよ。」
「つまりは、『名前』だよね。どうして、わざわざ面倒くさいい方するかな。」
イライラときつく言うアルフォンスに、身体はきょとんとした顔をしている。
「エドワードだ。」
シャワーから、こちらに笑いかけてくるのに、小首を傾げる。
「エドワード・エルリック。
それが俺の名前で、お前の魂の兄ちゃんだ。」
「兄ちゃん?……年長の兄弟の事か。」
「そうだよ。僕たちは兄弟なの。」
「そうか。」
やっと納得した様子の身体に、アルフォンスは深く嘆息する。
なんだか、面倒くさいな。
エドワードは、アルフォンスと身体を別のものとして認識しているようだが、アルフォンス本人はそういう風に見ることはできない。それが自分自身であるからだ。
自分が自分と問答しているというこの状況に、未だ馴染めていなかった。
「俺としては、さっきの呼び方は嬉しかったけどな。その声で言われたの4年ぶりだから。」
ニコニコと話しかけてくるのに、「アルフォンス」もつられて微笑む。
「じゃあ。これからそう呼ぶようにするよ。」
「ええっ⁉それはダメっ。ダメだよ!!」
大声で拒否するアルフォンスに、エドワードも身体も目をパチクリさせる。
「そんな、全力で反対しなくても……君が嫌なら言わないよ。」
静かな声で、身体に語り掛けられアルフォンスは声を詰まらせる。
「何だよ、アル。そんなムキになって。
お前の生声で、呼ばれたのが嬉しかっただけだよ。」
「……ごめん。でも、なんか嫌なんだ。」
「──変な奴だな。」
肩をすくめると、エドワードはシャワーを浴び始める。
なぜ、こんなに嫌なんだろう。確かに自分の声なのに……困惑しながらアルフォンスは腕の中の存在を見つめる。
シャワーを浴びて温まったところを、毛布にくるまれたため眠気が出てきたのだろう。目がうつろで、うつらうつらし始めている。
自分なのに、自分じゃない。自分の意思とは関係なく動き、兄と会話するこの存在に、兄が優しい顔をするのがたまらく嫌だと思う。この感情を表す言葉が頭をかすめ、アルフォンスは肩を震わせた。

──嫉妬……?僕は僕に嫉妬している?

アルフォンスは慌てて首を振った。
「どうしたぁ?アル。」
突然首を大きく振った彼に問いかけてくのに、何でもないと答え、この身体を取り戻した経緯について尋ねる。
「……自分自身の人体錬成……」
予想だにしない脱出方法に声を詰まらせる。
よくそんな方法を思いついたものだと感心するが、ふと、あることに気が付いた。
「あれ?通行料は?」
扉を通るためには通行料として代価が必要だ。しかし、兄も、他の皆も五体満足で戻ってきている。
「エンヴィーの中の賢者の石を使った。」
「石って!人の命を使ったアレの事⁉」
アルフォンスは思わず声を荒げた。
その声に、眠りかけていた「アルフォンス」が瞼をうっすらと開けた。
ぼんやりとした頭で、耳から入ってくる兄弟の会話を分析する。
どうやら、彼があの場所に来るのに、あのホムンクルスの中にある賢者の石を使ったらしい。
兄は、扉の通行料としたクセルクセス人の魂は、もはや消費されるだけのエネルギーだと言い切るが、弟はそのことに納得がいかないようだ。
「そんな……僕、前にも言ったよね。誰かを犠牲にしてまで元の身体に戻りたくないって。」
「そんなことは分かってる!
でも、目の前にそれがあったんだっ。お前の身体がっ!」
夢中だったんだよ。
エドワードが、眉根を寄せ弟を睨みつける。その表情は今にも泣きだしそうだ。
そんな兄に、アルフォンスは声をつまらせるが、それでも「でも……」と繰り返した。
「アルフォンス」は嘆息を漏らすと、口を開いた。
「……彼が僕を連れ出せたのは支払った代価が自身の人体錬成よりも多かったからだ。君が言う『犠牲』を多く支払った結果だ。そこまでして彼は、僕を連れて君の元へ帰ってきた。
君は、そのことを非難するの?」
「そ、それは……」
言葉に窮する鎧にかまわず「アルフォンス」は言葉を続ける。
「多くの犠牲を払いながらも身体を取り戻してくれた兄を、君はなぜ責めるの。」
「おいっ。」
エドワードが「アルフォンス」を咎めた。
ふたりのアルフォンスは、黙って見つめ合う。
「───兄さん……ごめん。身体を取り戻してくれてありがとう。」
アルフォンスが今にも消え入りそうな声で礼を言った。
「だけど、今度は…兄さんの腕と足は、僕たちと関係ない人の命を使わずに取り戻そう。それまでは、僕も自分の身体には戻らないから。」
決意を込めた弟の言葉に、兄は強く頷き、弟の身体は嘆息を漏らした。

「………なぜその白黒猫がいる?」
エドワードが、鎧の肩に鎮座する小さな白黒の生物を見て尋ねる。

数秒後、彼の絶叫のごとき悲鳴が室内に轟いた。

 

 

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