真理の扉からアルの身体を持ってきちゃった 1

気が付いたら「そこ」にいた。
真っ白な空間。上も下も右も左もみんな真っ白。
どこか分からないその空間に、ぽかりと存在する巨大な「扉」。
その前に彼はいる。いつからそうしているのか分からない。名前はない。というか分からい。
名前はあったはずだと、彼と向かい合わせに存在するもう一つの「扉」の前にいる奴が言っていた。
「一緒にあった魂を取り返されたからな。」
記憶や感情は魂の方にある。お前は、「それ」の器でしかない。
その白い影法師のようなそいつは、右腕と左足の一部分だけが実体化した不可思議な姿で、その大きな口で愉快そうに言う。
そもそも、扉が向かい合わせに存在すること自体稀だという。
曰く、2人の人間が同時に人ひとりを錬成しようとした影響らしい。
ああそう言えば……と、回想する。
ある日、子供が扉の前に飛び出してきたことがあった。子供の望みに応じ真理を見せた代価に「全て」をもらい受けたのだ。
「お前がそいつ自身を代価にしたおかげで、もう1人はこの足だけで済んだというのに、あのバカは懲りずにもう一度ここにきて、お前から魂を抜いて右腕を置いて行った。
よっぽど大事なものらしいぞ。そいつにとってのお前は。」
ニタニタと笑うそいつに、首を傾げる。
「何故、全部持って行かなかったのかな。」
「奴が支払う代価が体の一部だったからだ。だから、あいつにとって最も大事な存在の魂を持って行った。」
「ふうん。」
彼は、大した感慨もなくそう呟く。
「それで満足したのかな。」
「さあな。だが、器の持ち主は取り戻したいんじゃないのか。自分の身体を。」
「真理を見た上に、代価も支払いたくないとは……強欲だね。」
「人間とは、そんな生き物さ。」
「人間……そう、これは『人間』か……」
彼は、自分の身体をしげしげと眺め、薄く笑った。
「面白いな。」
「そうだな。どっちがお前を取り戻しに来るのかな。」
「それは……魂の方じゃないの?」
「もしかしたら、あのバカかもしれないぜ。」
「それこそ、バカだ。」
魂の抜けた器と、片腕と片足の存在は楽しそうに笑った。

それは、突然訪れた。
いつも背後に感じる「奴」とは違う気配がする。
「あいでっ……!!……………よし……来たぞ。」
その気配が何かに気か付いたように、こちらを振り向く。
「なんで……扉がふたつあるんだ……?」
気配は、若い男のようだ。あいつと声が似ている気がする。
男が息を呑んだ。
強い視線を感じて振り向くと、そこには、金の瞳に金の髪の男が、血に汚れた姿で彼を凝視している。
弾かれたように男は立ち上がると、彼に向って駆けだした。
「アル!!」
だが、それと同時に扉が開き、その人物を誘うべく黒い無数の腕を伸ばして捕らえた。
必死に抗いながら、その人物は腕を伸ばす。
「アルっ!来いっ!!早くっ!」
必死に訴えかけてくるその人物を、彼は呆然として見つめる。
魂の方ではなかった。では、「バカ」の方か。
「だめだよ。君は、僕の魂じゃない。一緒に行けない。」
すまなそうに微笑みかけると、その人物は愕然とし悲し気な表情を浮かべ、腕たちによって扉の向こうへと運ばれていった。
閉じた扉に小さく嘆息を漏らす。
その瞬間、閉じたはずの扉が開いた。
その人物が、こじ開けた扉の隙間から、必死の形相でこちらに呼び掛けてくる。
「アルっ。アルフォンスっ!アルフォンス!!」
その人物の口から飛び出した言葉に、目を見開く。それが、僕の名前?
「アルフォンスっっ!!」
再び名を呼び、必死に腕を伸ばしてくる。
「えっ!?」
意図していない体の反応に、驚愕の声を漏らした。
引っ張られる!?
これは、魂じゃない。なのに何故⁉
扉の隙間から伸びた黒い腕が、彼を捕らえて中へと引き寄せる。
「アルフォンスっ!」
鋼の右腕が、力強く彼を抱え込んだ。
その刹那。
扉が閉じられた。

 

次に気が付いた時には、全く知らない世界にいた。
自分を抱え込んでいる男と共に、別の黒髪の男と、何やらたくさんの人間の塊と一緒に、薄暗い場所に吐き出された。
肉塊に埋もれていたので直撃は免れたが、人間の塊が動くときの振動がジンジンと伝わってきて、頭がガンガンする。
衝撃にクラクラしている「アルフォンス」を他所に、彼をこちらに連れ出した鋼の腕を持つ男が、初めからそこにいたらしい鎧に肉塊から引っ張り出された。
「兄さんっ!!よかった!!無事だった!!
兄さん。兄さん。兄さん!!
兄……よかった。生きてた……生きてた……」
「悪イ……心配かけた。
そうだよな。辛かったよな。怖かったよな。悪かった。」
鎧は男を抱きしめて打ち震え、抱きしめられた彼は鎧の胸の突起物に体を押し付けらていることにギャーギャー騒いでいたが、やがて、跪いて震える鎧の頭を鋼の右手でガシガシとなで始めた。
ガンガンする頭を手で抱えながら、その光景を目の端に捕らえた「アルフォンス」は、頭をなでられている鎧に視線が釘付けになった。
「あっ……!」
そこに、魂がある。全身で理解した。
鎧も、何かを感じたらしい。伏せていた頭をもたげてこちらを向く。
「………っ!」
互いに無言で互いを見つめる。震える手と手を伸ばし合った。
「ホーエンハイム……?」
鋼の腕の男が、驚きの声を上げる。
彼らの側にいる、もう一人の人物に気が付いたのだ。
その人物は、時代がかった衣装を身に纏った長い髪とひげを蓄えた男だ。
「アルフォンス」を連れてきた男よりもずっと年嵩としかさがある。こちらが大人の男だとすると、あの鋼の腕はまだ子供なのか。年齢にかなりの差があるように見受けられる。ということは、この長髪のひげ男はむしろ老人か。
そんなことを考えながら、見上げていると、その老人は感嘆の声を上げた。
「これは驚いた。腹から人間が……」
老人は二人をしげしげと見つめると、ずいっと顔を近づけた。
「エルリック兄弟か?」
「……奴…じゃない?」
「誰かと間違えていないか?
ん?待て……ホーエン……ヴァン・ホーエンハイムの事か?」
尋ねるたびに顔を近づける老人を、鋼の少年は気味悪がる。
その人物との関係を尋ねる老人に、鎧が一応父親だと答えた。
「父親!!」
老人は大声を上げ、少年の顔を両手で挟んで凝視する。
驚く少年を無視し、老人は矢継ぎ早に質問を繰り返し自分の考えに没頭しだした。
事の成り行きを呆然と眺めている「アルフォンス」の側では、彼らと一緒に飛び出してきた黒髪の少年が愕然とした様子で老人を見ている。
それにしてもこの老人は不思議だ。
人のようで人ではない。人の皮をかぶった別の生き物だ。いや、「生物」かどうかも怪しい。
容姿は枯れかけているにもかかわらず、生命のエネルギーに溢れている。
確かに不気味だ。
黒髪の少年もそれを感じ取っているのだろう。彼が戦慄しているのがよく伝わってくる。
その不気味な存在は、どこか自分に似たものを持っている。
「何だろう……」
「アルフォンス」は小首を傾げたが、次の瞬間にはすべてを悟った。
彼は、今の自分と同じなのだ。経緯は分からないが、本来あるべき場所から離れここにいる。
「変わっているな。」
「アルフォンス」はクスリと笑った。
「話聞けよっ!」
老人と会話が成立しないことに、少年が怒鳴る。
「ぬ?ケガをしているのか?鎧の方は左手がないな。」
相変わらずマイペースなその老人は、鎧の無くなった左手の事を言い合う少年らにかまわず、鎧の左手を再現させると、次いで、少年の左腕と肋骨の骨折を治した。
少年は驚愕の表情で老人を見る。
「お前たちは大切な人材だからな。
身体は大切にせねばいかんぞ。」
他にケガはないかと尋ねる老人に、鎧が「リンもケガ……」と言ってこちらに顔を向ける。それにつられ老人の視線も動き、「アルフォンス」と視線が合った。
「おや……エンヴィーの一部だと思ったら……エルリック兄弟とは3人だったか?」
首を傾げる老人に、「アルフォンス」は苦笑いする。
「あっ。そいつは……」
鋼の少年が、慌てて声を上げる。
「アルの……」
「僕の、身体……だよね。」
確認してくる鎧に頷く。
「お前の、身体……?」
老人は鎧と「アルフォンス」の間で視線を泳がせながら尋ねる。
「そうだ。俺が、向こうから連れてきた。」
「ほう……では、グラトニーの腹の中から扉を使って出てきたのか。
なかなか面白い事をする。」
老人は感嘆の声を上げ、再び「アルフォンス」を見ると、鎧に視線を移した。
「身体に戻るか?鎧の弟よ。」
「そ、それは……」
鎧はちらりと自分の身体を見るものの、戸惑いを隠さずにいた。
「アルフォンス」は小さく息を吐く。
「君は、今、戻る気はないようだね。」
自分に話しかけられ、アルフォンスは肩を震わせた。
ずっと…ずっと探し求めていた身体が今自分の目の前にある。だが、それは余りにもみすぼらしくやせ細っていた。
こんな体に戻っても……今、この状況では……
戻れるものなら戻りたい。でも、今は駄目だ。
老人はぎょっとして「アルフォンス」を見る。しゃべるとは思わなかったらしい。
「肉体と魂で会話しているのか。
いや……肉体のナカにいるお前は一体なんだ?」
何かと問いかけられ、「アルフォンス」は首を傾げる。
「分からない?……貴方なら分かると思うのだけど。」
分かるはずだと言われ、老人は明らかに困惑する。
仕方ないなと息を吐くと、「アルフォンス」は小さく笑った。
「僕は、貴方たちが“世界”と呼ぶ存在。あるいは“宇宙”。あるいは“神”。あるいは“真理”。あるいは“全”。あるいは“一”。そして、僕は“彼自身”だ。」
そう言って、アルフォンスを指す。
エルリック兄弟は息を呑んで「アルフォンス」を凝視する。
が、老人は嘆息を漏らしただけだった。
「鎧の弟自身だというのであれば、肉体と魂を対として考えればよいのだな。
ならば、お前も必要な人材だ。」
そう言うと、「そんななりでは体が冷えるぞ。」と、衣服の袖を引きちぎるとそれを一枚の毛布に錬成し骨と皮ばかりの身体を包み込んだ。
「………温かい……」
初めて味わう感覚に戸惑う「アルフォンス」に、老人は満足そうな笑みを浮かべると、その傍らで剣を向けて彼を威嚇している少年に、これまで見せなかった冷たい目をむける。
「なんだ、お前ハ……ありえなイ……
なんだ、その中身……何の冗談ダ!!」
恐怖と混乱が混ざった声で、黒髪の少年は老人に剣を向ける。
確かに、「あれ」の中身はまるで冗談のようだ。だが、そんな態度は自分を窮地に追い込む。そう考えていると、案の定、老人は少年を不用なものとして排除する意思を示す。
鋼の腕の少年が、彼は自分の仲間だから見逃してくれるように訴えるが、彼はそれを知ったことではないと吐き捨てた。
「私にとって必要かそうでないかだ。」
「なんだとっ!」
鋼の少年が声を荒げる。鎧が、少年を制した。
「あいつ、人造人間ホムンクルスに「お父様」って呼ばれてる。
奴らを造った張本人らしい。」
人造人間ホムンクルスという言葉に、「アルフォンス」は小首を傾げ、彼らが出てきた腹の持ち主と、人間の塊のような奇怪な存在を見る。
これらをあの老人が造り出したというのか。何が目的でこんな変なものを造ったのか……考えに耽っていると、少年らは彼を「敵」と見なしたらしく、辺りは不穏な空気とピリピリとした緊張感に包まれた。
………避難した方がいいかな。
「アルフォンス」はおぼつかない足取りで、毛布にくるまった身体を「お父様」と呼ばれる老人から離れた位置に移動させた。
その刹那、めくれ上がった床が、「お父様」めがけて襲い掛かる。寸前で彼の前に現れた壁がそれを防いだ。
それをきっかけに、その場は戦場と変わった。怒鳴り合う少年と人造人間ホムンクルス。床といわず壁といわず這いずり回っている何本ものパイプが「お父様」に襲い掛かり、その身を拘束したかと思うとすぐにそれは破壊された。
こんな「攻撃」は、彼にとっては大したことではないだろう。蚊に刺されたか、もしくは蟻にかまれたくらいにしか感じないはずだ。
不毛な攻撃を続ける彼らに、嘆息を漏らす。
「時間のムダだな。」
そう言うと「お父様」は1歩足を前に踏み出した。その足元からぶわっと激しい衝撃波が広がり、辺りを震わせる。
───なにを、した?
鋼の少年と鎧は何か違和感を感じ両の手を見る。両手を合わせるとそれを床に置いた。
何も起こらない。
錬金術を封じたのか。
「こんな事もできるのか。」
「アルフォンス」は感嘆し、老人を見る。計り知れない力の持ち主。まさに規格外だ。
こんなものをどうやって手に入れたのか。興味深く彼を見る。
あっという間に勝敗は決まった。少年らは人造人間ホムンクルスに取り押さえられた。
すると、「お父様」は黒髪の少年に興味を覚えたらしい。彼を、人造人間ホムンクルスにするという。
「ちょうど強欲グリードの席が空いている。」
開いた額から滴り落ちた赤いどろどろとした半固体を、少年の頬の傷口から流し込む。
それを鋼の少年らは止めようとするが、当の黒髪の少年は、手出し無用だと制した。
その様子を「アルフォンス」は静観していた。いや、むしろ興味津々としていた。
これから何が起きるのか。あんな方法で、人造人間ホムンクルスが本当にできるのだろうか。
あの赤い塊には、とてつもない生命エネルギーが宿っている。それらを入れられた少年はどうなってしまうのだろう。
少年が苦悶の表情を浮かべ絶叫した。
数刻後……少年は別の人格に取って代わられた。
目つきは鋭いが、品は良さそうだった少年は、その鋭い目つきをさらに凶悪にさせた、欲望を隠そうともしない悪辣な面相の男になっていた。
「……本当にできた……」
「アルフォンス」は固唾を呑む。
「一体……何者なんだ。」
驚愕の眼差して、その老人を見た。
錬金術を使う少年と人造人間ホムンクルス……「お父様」は彼らを“人材”と“駒”に分類して必要なものとしている。
彼らを使って、何を行おうというのか……表情をそぎ落としたような老人の横顔からは、何も読み取れない。
ただ、不気味なものしか伝わってこなかった。

 

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