「あ………?」
気が付くと、見慣れない風景が目に映った。
「ここは………?」
静かだが、どこか緊張した空気……白い空間。どこからか聞こえてくるピッピッという電子音……微かな消毒薬の臭い。
「───病院……?」
なぜ、こんなところにいるのだろうか。状況から察するに、自分は病室のベッドの上に横たわっている。何か、治療を受けているのか、体のあちこちに管がつなげられているのが分かる。
「どうして……」
鼻腔に酸素吸入用のチューブまではめられていることに、驚いた。
それに触れらることで、右手には支障がないことが分かる、左手も問題ない。
足は?両の足先は動かしても支障なかった。だが、両ひざを立てようとして右足に違和感を感じた。
「右足……何か……動かせない……」
自由に体が動かなことに不安を覚える。一体自分の身に何が起こってしまったのか。このような状況になった原因に皆目思い当たらない。
そもそも、ここはどこなのだろう。自分がいる施設に、このような設備があっただろうか。不安はどんどん膨れ上がり、恐怖となって襲い掛かってくる。
「あの……すみません。」
たまらず、声を上げる。ここが病院なら、近くに誰かがいるはずだ。
「すいませんっ。だ、誰かいませんかっ……!」
声を大きくして呼びかけた瞬間、激しく咳き込んだ。
喉が……胸が苦しい。息が上手くできない。止まらぬ咳に身をよじる。
目の前に、何かのスイッチが飛び込んできた。必死にそのボタンを押す。同時に大きな音が鳴った。
ああ……これを押せばよかったのか……
ゼイゼイと苦しい息。辛さと、自分の異変を知らせることができた安堵で目の前がかすむ。
病室のドアを開けて入ってくる足音が耳に入った。
数人の人物が近寄ってくる気配がする。誰かが、酸素マスクをあてがってくれた。
「大丈夫だ。落ち着いて、ゆっくり息を吸って…吐いて…」
男性の落ち着いた声が誘導するのに従って呼吸を整える。ゆっくりと体があおむけに戻された。
「例の患者の意識が戻った。ラクシャータ先生に連絡を。」
「はい。」
男性医師の指示を受け、女性の看護師が動く気配がする。
室内が、とたんに緊張した空気に変わった。
なぜだろう。自分を取り巻く人々から、ピリピリとした空気が伝わってくる。
自分の足元に当たる病室のドアの向こう側から、何やら物々しい気配もする。
呼吸が楽になったものの、心細さは払拭できないばかりか、ますます募るばかりだ。
「大丈夫よぉ。相手はけが人だし。目を覚ましたばかりで、すぐに動けやしないんだから。」
ドアのすぐ外から、女性の声が聞こえる。
「しかし……」
女性に反論しようとする、男の声も聞こえる。
「とにかく、このエリアで、そんな物騒なもの振り回さないでちょうだい。」
ぴしゃりと言うと、その声の主が病室に入ってきた。
「どう?2週間ぶりのお目覚めね。」
どこか飄々とした、軽やかな甘い声でその人物がのぞき込む。浅黒い肌が日本人でもブリタニア人でもないことを伝えてくる。プラチナブロンドの長い髪が美しい、エキゾチックな女性だ。彼女の笑顔に、やっと安心感が戻ってくる。
「あの……」
話しかけようとすると、酸素マスクが離された。
「ここは、どこでしょう。」
「ここ?ここは……」
女性は一拍言葉を区切ると、目を細める。
「黒の騎士団よ。」
彼女の言葉に、室内にさらなる緊張が生まれた。その場にいる全員が自分に注目しているのが分かる。
だが───
「くろの……きしだん……?」
自分と敵対する勢力の名を伝えても茫然どしている彼に、ラクシャータは強い違和感を覚えた。
長い間昏睡状態にあったための記憶の混乱か。
「この名前、聞き覚えないかなあ。」
目の前の男は、困惑を隠すことなく首を横に振る。
周りにいる医師や看護師も、顔を見合わせ困惑の表情を浮かべている。
「名前……自分の名前、分かる?」
「はい。」
「じゃあ、私たちに教えてくれるかなあ。名前と、年と、所属。」
ラクシャータの求めに、彼は素直に答えた。
「どう思う?」
「少なくとも、嘘をついているようには……」
「わたしも、そう思います。」
診察の準備をすると断って病室を出たラクシャータは、続いて出てきた医師と看護師に確認する。
全員が同じ印象を持っていることに、肩をすくめて息を吐く。病室を取り囲むようにに配置している警備班のリーダに視線を移した。
彼も、困惑している。
「聞いた通りよ。あの子について、当面はあんたたちが懸念しているような心配はないわ。」
班長は、黙って頷いた。
「ラクシャータ。様子がおかしいというのはどういう事だ。」
病室に入るや否やラクシャータに詰め寄るゼロを、ベッドの上で半身を起こしている少年は唖然とした表情で見ている。
腕につながれている点滴の管と、鼻から酸素を送り込んでいるチューブが痛々しい。
「うーん。意識はしっかりしているんだけど……言っている事がね……」
「言っている…こと?」
「そう。ねーえ。この人を見てどう思う?」
ゼロを指して問いかける彼女に、少年は戸惑いを露にする。
「……言っちゃって…いいんですか……?」
おそるおそるという様子で尋ねかけて来るのに、笑顔で構わないと言う。
「じゃあ。正直に言いますね。……変態……さんですか?」
その答えにラクシャータは、やっぱりー?と、ケラケラ声を上げて笑い、駆けつけた3人は呆然と立ちすくむ。
「へ…変態……だと……!?この…私のどこがっ!」
「そっそうよ。いくら殺したいほど憎いからって、目が覚めて第一声が変態だなんて……正直に言うにも程があるでしょ!」
「おい……それじゃ、フォローになっていない。」
C.C.のツッコミに、カレンは慌てて口を閉じる。
2人の剣幕に、少年はびっくりして目を瞬かせるばかりだ。
「ご……ごめんなさい。でも、いきなりそんな格好で飛び込んできたから……その…何かのイベントの最中……だったんですか……?」
「スザク……?」
「なに……この緊張感のない会話……」
「君。悪いけど、この人達にも名前と年齢を教えてやってくれる?」
「はい。枢木スザク、11歳です。」
初めましてとにっこり笑う少年に、3人は言葉を失った。
「どういうことだ?」
病室を出て、ラクシャータの研究室に集まった3人は、彼女に説明を求める。
「かなり出血してたでしょう。彼。手当が少し遅れたせいもあって、脳に血流が充分行き届かなかったのね。きっと……」
「血流不足による脳障害……?」
「うーん。何が原因かは検査してみないと……他の原因による脳障害という事もあるし……でも、演技とは思えないでしょ?
何らかの影響で記憶の逆行もしくは、喪失……しているのは確かね。」
「記憶喪失……」
カレンがぽつりと言う。
「一時的なものなのか?」
「さあ。それはこれから調べてみないと……もし、脳に何らかの損傷があれば、抜け落ちている6年分の記憶はほぼ、戻らないでしょうね。」
「……そうか……」
そう言ったきり黙りこくるゼロに、ラクシャータはすまなそうに、話はまだ終わっていないのだと告げる。
「彼の右足と右肺のことなんだけど……足の弾は抜いたけど、神経を傷つけて筋肉に食い込んだ状態だったわ。動かない…という事はないけれど、リハビリしても元の状態には戻らないでしょうね。」
ルルーシュは、仮面の中で唇を噛み締める。
「右肺は……機能が殆どしてない状態。肺胞が壊死していて、残ったのは3分の1……」
「そんなっ……」
「これも、左側は健在だから、日常生活を送るのには問題ないけれど、運動したらすぐ息が上がっちゃうでしょうね。風邪でも重症化する懸念があるわ。」
「それじゃあスザクは……」
カレンが青い顔で問いかける。
「もう、軍人として第一線で活躍するなんて…無理でしょうね。」
「……!!」
カレンはへなへなと床に座り込んだ。
ルルーシュが、拳を壁に打ち付けた。
「───どうするの?スザクのこと……?」
自室に戻ったルルーシュに、カレンが遣る瀬無さげに尋ねる。
「どうも、こうもない。ここに置くしかないだろう。」
「記憶が戻って、自分はもう闘えないって知ったら……あいつ……」
「ラクシャータの話では、戻らない可能性が高いだろう。」
「11歳の…まま……」
「いや。11歳から、人生をやり直すと考えていいんじゃないのか?」
そう言いだすC.C.をルルーシュとカレンは見つめた。
「やり直す……」
「そうだ。今ここにいるのは、軍人になる前のスザクだ。
それこそお前の望み通りに、スザクとの関係を築き直せるじゃないか。」
魔女が、くつりと笑う。
「そうよ。敵になる前のスザクなら、仲間にするのは簡単よ。」
カレンも、光明を見出したかのように、明るい声で言いだす。
「スザクを…黒の騎士団に……?」
C.C.とカレンの言葉を反覆する。
敵同士になる前に戻ったのなら、味方になるのか……?
ユーフェミアの理想に賛同したスザクが、ブリタニアの破壊を受け入れてくれるのだろうか……
いや、今のスザクならもしかして……
不安と期待が入り交じったその感情に、複雑な表情を浮かべるルルーシュだった。
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