実家から迎えが来ていると告げられ、寄宿舎から取る物も取り敢えず黒塗りの車に乗り込むと、長年務めている老年の運転手は「このまま東名高速に入ります。」と言った。
「東名?世田谷の別邸じゃないんですか?」
「旦那様も奥様も、本宅でお待ちです。」
「──何かあったんですか?」
「いえ。私は何も……」
聞かされていないのだという回答に、スザクは思案げな顔で車載テレビのスイッチを入れる。文字放送のニュースを目で追うが、これといって重大なものは流されていない。
「まだ表に出せない事か……それとも京都絡み……」
思いつく事をつらつらとひとりごちる。確か、まだ国会の会期中ではなかったか。そんな時に首相が地元に戻るなど……
ただ漠然と、何か重大なことが起きた事だけは肌に感じていた。
「ただ今戻りました。」
帰宅してすぐ父の書斎に向おうとすると、皆、奥の座敷にいるのだと女中頭に案内される。
「座敷?他に誰か来ているの?」
「桐原様もおいでに……」
「やはり京都か。」
急な呼び出しは、半年後の皇神楽耶との婚約式の事だろうか。
それにしても、この時期にわざわざ呼び出すような事ではないはずだ。
ふすまの向こうに帰宅を告げると中に入る。
「おかえりなさい。」
ほっとした顔で微笑む母の顔は心無しか青ざめて見えた。
「スザク。戻ったか。外の様子はどうだ。」
「大分騒がしいですね。表門だけでなく裏門にも記者の姿がありましたよ。写真も何枚か撮られました。」
スザクの言葉に、ゲンブはその脇に控える秘書に目配せする。秘書が静かに退席した。取材内容の確認に行ったのだろう。
記者が色めきだって自分の姿を収めようとしていた。どうやら取材対象はスザクらしい。
そんな事を考えながら、京都六家の長老とも呼べる人物に挨拶する。
「桐原さん。いらっしゃい。ご無沙汰しています。」
「うむ。坊も変わりないようだな。また逞しくなった。」
「ありがとうございます。相変わらずお元気そうですね。でも、そろそろ『坊』は……」
止めて下さいよと頬を膨らませていうと、楽しそうな笑みが返ってくる。
一通り挨拶をすませると、スザクは父に向き直った。
「何かあったの?」
「うむ。実はお前の事なのだが。」
「俺?」
「ブリタニアへの留学が決まった。」
「留学?俺が?ブリタニアへ!?」
どういう事だよ!と。来客にも構わず乱暴な物言いになる。
提案ではなく決定。しかも事後承諾である事の不満をそのままぶつけると、枢木首相は静かに制した。
「まあ聞け。先日、閣議でブリタニアとの安全保障条約締結が決定され、ブリタニアもそれを承諾した。」
父の言葉に、スザクは息を呑み、目を見開いた。
「───ブリタニアの傘に入るのですか。」
「情勢を鑑みて、それが最良だという事になった。
ブリタニア相手に戦争なぞしたら、ひと月と待たずに敗戦するだろう。」
枢木ゲンブは苦笑まじりにそう言った。
そんな父を、スザクは神妙な面持ちで見つめる。
日本は海に囲まれた島国で、海を隔てて中華連邦・神聖ブリタニア帝国という列強に挟まれている。そんな状況で侵略もされずにいるのは、希少鉱物「サクラダイト」の世界最大の産出国で、その精製技術を持っているからである。
サクラダイトを精製する事で発生するエネルギーは、他の化石燃料の比ではなく近年では、ブリタニアが世界に先駆けて開発した人型戦略兵器「ナイトメアフレーム」の動力源として重用されている。
そのサクラダイトの輸出分配量を巡って、他国間の紛争に巻き込まれる事もしばしばだ。
業を煮やした中華とブリタニアのどちらが先に侵略して来るか時間の問題だと戦々恐々としているのが現状だ。
「……中華は見限ると……?」
「中華はもう駄目だ。元首である天子が幼年なのをいいことに、宦官どもが喰い潰している。内部抗争も頻繁で、国の中はガタガタだ。
いずれ、連邦を維持できなくなり分解するだろう。」
「そうなる前に、天子様をお助けできないか。神楽耶が画策しているようだが……」
中華連邦の天子と個人的な親交のある神楽耶のことを桐原が言うと
「それに便乗した輩が、宦官と手を組んだとも噂が流れている……」
枢木首相が渋面を作った。
スザクは口を挟む事を控え、大人達の話を聞いている。
「本国会中に議決をとり、早々に調印まで持ち込みたいが、事が今後の国の在処に関わる事だ。すんなり行くとは限らん。
だが、ブリタニアとは親密な関係を持ちたい。そこで、ブリタニア側から提案があった。」
「それが俺の『留学』ですか。」
スザクも、今は静かに口を開く。
その彼に、父と桐原が頷いた。
「初めは、皇家である神楽耶を提示されたが、あれは皇の現当主だ。
当主である神楽耶を外へやるわけにはいかない。」
「それで、俺にお鉢が回ってきたんですね。」
得心がいったという表情を浮かべ、同時に息を吐く。
「京都六家筆頭、皇家当主の許嫁で現首相の息子だ。相手もそれで納得してくれた。」
「俺が納得いかないと言ったら?」
「お前は、そんな事は言わないさ。」
親子は鋭い視線で対峙する。
先に目をそらしたのはスザクだった。
「国同士の取り決めでは、よほどの事がない限りご破算にはなりませんね。」
「すまないな。」
「留学期間は……」
「一応1年という事になっているが、この先の事はまだ読めん。
下手をすると今生の別になるかもしれん。」
「父さん……!」
「勿論そんな事にならない様に努力する。努力はするが、これから国の中も荒れるかもしれん。
それでも…だからこそ……」
ブリタニアに行ってくれないか。
そう言って息子に頭を下げる父を、スザクは声も出せずに見つめるだけだった。
室内は、沈黙と母のすすり泣きで満ちていた。
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