ニッポンの皇子さま その2

 数日後、スザクは神聖ブリタニア帝国、帝都ペンドラゴンの空港にいた。
 あの日から、めまぐるしい毎日だった。日本とブリタニアの安全保障条約締結の可否を問う議題が衆議院本会議に提出されたと、その日のうちに報道された。
 そして、スザクの留学も本人があれよあれよと思っているうちに準備が整い、気がつけば出発の日となっていた。
 家を出る前、両親と水杯を交わした。
 縁起でもないと断りたかったが、先日の父の言葉が重くのしかかり、断ることは出来なかった。
 空港には、かつての婚約者で従妹の神楽耶が。泣き腫らした顔で見送りに来てくれていた。
「本来なら、私の役目でしたのに……」
「違うよ神楽耶。こういう役目は、男の僕の方がふさわしい。女の子の君じゃ、不利な扱いを受けるかもしれない。
それに君は、皇家当主としての勤めがあるじゃないか。」
「なりたくてなった訳ではございません!」
「神楽耶。」
「私は…私は、ただ、小さい頃より枢木のお兄様のお嫁さんになりたかっただけですのに……
お兄様のための婚礼衣装に袖を通す日を、指折り数えておりましたのに……」
 はらはらと泣き崩れる少女に、スザクはかける声を失った。
 まさか、口を開けば生意気なことしか言わなかった従妹が、これほど自分を慕ってくれていたとは思いも寄らなかったのだ。
 古き血脈を絶やさぬ様に、家同士の繋がりを確固たるものにするため、生まれた時から定められていた2人だった。
「私とスザクは夫婦になるよう運命られた仲なのですから、将来の花嫁となる私にふさわしい男になって貰わねば困ります。」
 3歳年下の神楽耶は、スザクが注意やお小言を貰う度にそんなことを言って、スザクを怒らせたり困らせたりしていた。
 それが、嫌みなどではなく本心なのだとは今の今まで気づきもしなかった。
 やっとのことで出せた言葉は
「ありがとう。どうか幸せに。」
だった。
「待ってます。お兄様が戻られる日をずっと…だから…!」
 必ず戻って来て下さい。
 彼女の悲痛な叫びに答えてやるすべも解らず、ただ小さく頷いて機上の人となった。
 その涙が、両親と交わした水杯に、もう戻れないのだと。留学という体のいい人質としてブリタニアに向う自分の現実を思い知らされた。

 一般には利用しない特別な通路を、空港職員の先導で進んでいく。
 蒼白い蛍光管の光に照らされる白く長い廊下の先に、その通路の出口がぽっかりと姿を現した。
 外光が射し込むその出口に、黒塗りのリムジンが停まっている。
 彼らが近づくと、車の後部座席から1人の人物が降りて来た。
 車から降りる姿も優美で、すらりとした姿体のその人物はもの優げな表情を浮かべ、女性のようにも見えるが、身に纏うそれは騎士を思わせる軍服だ。
 案内して来た職員は、その人物に敬礼すると、その場を去った。
 それを横目で追っていた人物は、スザクの前に進み出るとにっこりと微笑む。
「日本国の枢木スザク卿ですわね。宰相府よりお迎えに参りました。カノン・マルディーニです。」
「あ…はい。枢木スザクです。どうぞよろしく。」  
 カノンは、スザクの挨拶に軽く会釈すると、リムジンのドアを開け、乗る様に勧める。
 どこから現れたのか、黒服を着た男がスザクの後ろに控える父の秘書から荷物を受け取り、車のトランクにつめていく。
「それでは。私はここで失礼します。」
 スザクをブリタニアに引き渡して、彼の仕事は終わるのだろう。辞意を告げると踵を返した。
「あ。佐藤さん!」
「はい?」
 スザクに呼び止められ、佐藤は怪訝な表情で振り返る。
「いろいろとありがとうございました。父のことをよろしくお願いします。」
 そう言って頭を下げるスザクに、一瞬驚いた様に目を見開いたが、次には柔らかな笑みを浮かべる。
「はい。スザクくんもどうかお元気で。」
 と、彼も深々と頭を下げ、そして空港に戻っていった。
 スザクが影で『鉄面皮』と評していた枢木ゲンブ公設第一秘書が初めて見せた笑顔だった。
 留学に関わる全ての手続きを整え、ここまで同行してくれた人物に別れを告げ、スザクは再びカノンに向き合う。
「お待たせしてすみません。」
「いいえ。それでは、参りましょうか。イルヴァル宮までご案内します。」
「はい。」

 車窓を流れる帝都の町並みを不思議そうに眺めているスザクに、カノンは面白いものを見たという表情を浮かべて話しかける。
「帝都は初めてですか?」
「はい。ネオウエルズには何度か観光に来たことがあります。でも、立場上自由に動けなくて、あの街もゆっくり見て回れなかったから比べるのもどうかと思いますが、ネオウエルズとはずいぶん印象が違いますね。」
 横をすり抜ける軍用車に目を見張りながら、向かい側の席に座るカノンに答える。
「このペンドラゴンは、皇帝陛下と皇族方がお住まいになる皇宮がありますから。
 皇宮警備のための部隊と陛下の騎士とその配下。その関係者が住まう都市です。
 軍事関連施設が多いですから、ネオウエルズとは趣が違いますわね。」
「──観光客渡航禁止な訳だ。この建物、殆どが軍のものなのですか?」
「そうですわね。この辺りは軍の施設が集中している地域ですから。ここを過ぎると、また、街の雰囲気が変わりますわよ。」
 スザクを乗せた車は、軍施設に囲まれた道路を右折した。
 すると、前方に巨大な建物が姿を現す。
「あれが、皇帝陛下が御座するペンドラゴン皇宮です。」
 前方の視界を全て覆う巨大な城は、実はまだ遥か先にあるのだが、圧巻としかいい様がない。
 呆然と前を見つめるスザクに、カノンは言葉を続ける。
「私たちが向うイルヴァル宮はあの皇宮の奥にございます。」
 皇宮に続く門が開かれ、リムジンはその巨大な皇宮の中に吸い込まれた。

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